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特集 (3)D―BOYS、自分の正解を見つけたいと戦っていた

2014年9月19日更新
写真:撮影・宮川舞子 撮影・宮川舞子

――けがをしたことによって、違う未来を考えるようになったんですか?

 陸上をやっていなかったらどんなことをやっていただろうかと考えてみました。勉強してすごい会社の社長さんをめざしているとか、他のスポーツをやっているとか、遊びほうけているとか。そんな中に芸能界というのが浮かんできたんです。あんな華やかな世界にいたら楽しいだろうな……簡単じゃないとしても、今自分が悶々(もんもん)としているものは感じずにいるのかなとか。芸能界には学生時代から少し興味はあったのですが、蓋(ふた)をしていた思いが社会人になって震え出したんです。そんなタイミングに、部の廃部が宣告されたんです。

 蓋が一気に開いて、ある意味「背中を押されている」と思いました。もし神様がいたら「おい和田よ。この廃部を理由にしていいぞ! 残りの人生でこんなチャンスはないぞ、行くなら今だぞ!」って言われてるんじゃないかなって。廃部が決まった翌日、「僕は陸上をやめて俳優になります!」と宣言。陸上を捨ててまで目指すと思ったから、絶対になってやるという決意の表れで「なりたい」ではなく「なります」と断言していたんですよね。ある先輩に「お前はそこそこの俳優にはなれそうだな。でもそこそこやな」って言われて、「見とけよ!」と思ったのをよく覚えています。先輩がイメージした「そこそこ」は超えられたかなと(笑)。

――俳優生活を始めてみていかがでしたか?

 事務所に入って、D―BOYSの中でも自分のポジションをどうするのか、カッコいい人がいたら、僕は笑いに特化した時期もあったり、色々と試していて、時間がかかったのも正直なところです。ずっと「お笑い担当」って周りから言われてました。格好つけるのが恥ずかしかったから、そういう方向に逃げていたんでしょうね。お世話になった方から「俳優をやっていく上では、格好つけるというよりも大人の色気を出すことが大事だ」と言われたこともありましたね。大人の見せ方をしていく、そういう格好のつけ方もあるのかと思い、30歳過ぎの頃は試行錯誤していました。とにかく今いる環境に甘えたくないというか、この環境にいてもいいけれど何か脱却したい、この環境での自分の正解を見つけたいとずっと戦っていました。

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