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特集 (4)RiRiKA:宝塚時代のように寄り添って歌っている

2015年1月6日更新
写真:藤岡正明(左)とRiRiKA=撮影・斎藤泉 藤岡正明(左)とRiRiKA=撮影・斎藤泉

――前回の朗読コンサートでは、藤岡さん、RiRiKAさんの声の相性も素晴らしくて、化学反応が起きていたように感じました。おふたりには、そうした手ごたえはありましたか?

RiRiKA:ありましたね。歌っていてすごく気持ちいい。

藤岡:そうですね。でも、こういう風に歌おうかとか、何か言葉としてやりとりをしたわけではなくて、純粋に反応しあえたと勝手に思っているんですけど(笑)。そこに役者として存在して、役として起こったことをお互いが素直に受け止めあえたのかなと。僕自身もすごく気持ちよかったし、楽しかったですね。

――RiRiKAさんは、シンガーとして活躍されている時は声が低めでパワフルですが、この作品では高く透明感のある歌声が印象的でした。

RiRiKA:エイミーのキーがもともと高いんですが、歌い方にしてもポップスとクラシックの間をとったものがいいかなと考えて歌いました。それと、藤岡くんはそのまま自然に歌っていると言っていましたけど、私は藤岡くんに寄り添って歌っているところもあります。それは、宝塚時代のクセかもしれません。エイミーにとっては、セスもマイクも魅力的で、それを見せるのは女の仕事だというところがあって。ふたりが魅力的に見えるためには、自分も輝いていなればならないので、ソロナンバーでは自分を主張するけれども、ふたりと歌うときは寄り添うように歌っていたと思います。

四宮:再演するにあたって、本国スタッフに録音した音源を聴いてもらったんですけれど絶賛されて。そのなかでも、とくにエイミーがよいと。言葉は違えども、その音色が感情に合っているかどうなのかがちゃんと表現されていたんじゃないかなと思ったんですよね。

――ハーモニーもユニゾンも多くて、本当に楽曲が素晴らしいですよね。

RiRiKA:私の役は、みんなが歌っているけれど、私だけ歌わないという場面も多くて、聴いていていいなぁ、私も入りたいなと思っていました。

――四宮さんは歌詞の訳詞もされていますが、工夫したこと、苦労したことはありますか?

四宮:日本人がアメリカ人を演じるからといって、アメリカ人のようにする必要はないと思うんですね。日本人でできる「TRAILS」をやれればいい。訳は大変なことも。とくに困ったのは“Places in Between”という歌詞で、直訳すると間の場所ですよね。どうやって訳そうと悩んで、最終的に「大切なもの」と訳しました。何を言いたいかというと、ふたつの間、すなわち人と人との間には何もない空間がある、それさえも美しく感じるときがあるということだと考えました。沈黙のなかにも美しいものがあると捉えました。

――ご自身がミュージカル俳優だからだと思いますが、とても歌いやすい訳詞になっていると感じました。音楽に日本語が乗っていてとても聴きやすいです。

四宮:歌いやすさについては考えました。例えば「イ」の母音で高音を出す事は簡単なことではありません。だから、「ア」「オ」のように伸びやかに歌いやすい言葉を選んで高音部にあてがうようにしています。もちろん原語でおいてもそれは考慮されている歌詞です。歌い手、演じ手の気持ちはわかるので、自分がされたくないことはしないですね(笑)。ここにいるおふたりにとっては容易なことかもしれませんが(笑)。あと、韻ですね。英語ではもっと韻を踏んでいるんですけれども、日本語では「イ」で結ぶとちょっと難しいから「エ」で結ぶとか、そういった工夫はしました。それと、日本でも通じる英単語はできる範囲で使うようにしましたね。

――やはり、かなり工夫をされているんですね。

四宮:これまで何作かご一緒させていただいた、翻訳家であり脚本家でもある高橋知伽江(ちかえ)さんが、「アナと雪の女王」の訳詞をされて、「ありのままの私」という訳が元の歌詞と全然違うという指摘をされましたけど、あれも結局は総合的に見て何を言いたいかというところが大事だと思っていて、私はやはり高橋先生の訳は素晴らしいなと思っているんですね。素直に心に入ってきますし。

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