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特集 (5)芸術を通して世に問うことの奥深さを感じる

2015年3月17日更新
写真:「ハムレット」公演から、左からクローディアス役の平幹二朗、オフィーリア役の満島ひかり、ガートルード役の鳳蘭=撮影・渡部孝弘
「ハムレット」公演から、左からクローディアス役の平幹二朗、オフィーリア役の満島ひかり、ガートルード役の鳳蘭=撮影・渡部孝弘

 ハムレットの命が果てる終幕は、静かな幕切れだった。王の企(たくら)みによってレアーティーズと剣を交えるハムレットは、仕掛けられた毒によって息絶える。ハムレットの腹心の友・ホレイシオ(横田栄司)は、真実を伝えるためにハムレットの遺志で次の王に選ばれた若きフォーティンブラス(内田健司)に訴えかける。しかし、ここで明瞭なセリフ回しのホレイシオに対し、フォーティンブラスの声が聞こえにくい。前のめりになって耳をすませても、単語がかすかに聞き取れるかという状態だった。

 観劇後、周囲からも「セリフが聞こえなかった」「あれは、何だったんだろう」といった会話が聞こえた。他の観客もやはり、フォーティンブラスのセリフの声が客席に届いていないことに引っかかっているようだった。生の舞台でセリフが聞こえづらい状況というのは、観客にとってはストレスになる。おそらく演出の意図があるのだろうというのはなんとなくわかったが、もしそれが本当に意図的であったとしたら、どうしてそのような状況を作ったのだろう。

 シーンを回想してみる。ホレイシオ(横田)は、さらなる陰謀や間違いが起こらないように、ハムレットの死の顛末(てんまつ)を何も知らない人々に直接語りたいとフォーティンブラスに申し出ていた。しかし、フォーティンブラスの声は客席に届かない。新しき王は何と言っているのか、聞こえないがゆえに想像していくしかなかった。逆にホレイシオのセリフがはっきりと聞こえた分、悲劇の顛末に対して彼から観客に問いを投げかけられているようにも思えた。もし私が王の立場だったら、申し出をどう受け止めるだろうか。もし私が民衆だったら、ホレイシオから話を聞いてどう反応するだろうか、と思考を刺激された。

 そこで気づいた。もしかしてセリフを聞こえにくくすることで、観客にあえて負荷をかけたのではないだろうか。そこで生じる違和感から、あれは何だったのだろうかと考え始めるからだ。「2015年に生きる我々すべてが『お前は誰だ』と問われている」と蜷川氏は公演プログラムに書いている。世の中で起きていることを我が身にたぐり寄せて考えること。正気でいること。そうして日々、思考し続けることが、その問いに対する手がかりのように思えた。

 同じ作品を見ても、年代、性別、一人ひとりの感性によって、視点や解釈はまったく異なるだろう。しかし、舞台から命がけで放たれたエネルギーに対し、つかみ取るものが何かしらあったと思う。

 芸術を通して世に問うこと、芸術表現の奥深さを改めて感じた作品だった。

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◆「ハムレット」
《東京公演》2015年1月22日(木)~2月15日(日) 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
《大阪公演》2015年2月20日(金)~3月1日(日) 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
※この公演は終了しています

《筆者プロフィール》桝郷春美(ますごう・はるみ) 福井県小浜市出身。人生の大半を米国ですごした曾祖父の日記を読んだことがきっかけでライターを志す。アサヒ・コム編集部のスタッフとして舞台ページを担当し、2012年1月よりフリーランスのライターとして活動。朝日新聞デジタルでの取材・執筆のほか、人物ルポを中心に取り組む。