マイコンテンツ

ここから本文エリア

特集(1)始まりは、ラジオ局のADでした

2011年6月24日

写真:JONTE

撮影・岸隆子

――まずはJONTEさんのこれまでの活動についてお話いただけますか?

 大阪出身で、2006年にEXILEの新メンバー募集オーディションに一般応募して、最後まで残って…。EXILEにはなれなかったんですけど、そこからソロの道が開かれて今に至ると言う感じですかね。

――昔から歌手を目指されていたんですか?

 そうですね。歌手になってみたいという気持ちはあったんですが、ほんの一握りしかなれない…そんなふうに思いながら…。

 大学に行って友達ともオーディション受けるとかしようや、なんて話しながらやってたら、「ASAYAN」って言う番組を見て、一般の人が歌手になっていく様が普通に描かれていて、自分も同じ人間なんだし、一度きりの人生だからやれたらなって。一番はじめは裏方から始めようと思って、ラジオ局でADを始めて、そこからいろんなコネを…「なんとか自分でやったんねん!」みたいな感じで…。

――小さい頃から歌が好きでよく歌っていたとか?

 歌ってましたね。ちっちゃい頃にオヤジがかけるカセットだったりとか、オカンがかけるCDだったりとか、全部聴いてましたね。

――お父様、お母様はどんな曲を聴いてたんですか?

 サザンオールスターズさんとか、長渕剛さんとかもそうですし、テレビっ子だったので、永井真理子さんのルックスに惚れてしまって…、歌ってましたね。あと、CHAGE and ASKAさんとか、めっちゃ聴いてました。

――ご自身で歌ってたんですか?

 歌ってました。中学校になるとカラオケが流行ってきて、そこからはMr.Childrenさんとかいろいろ、その時一世風靡した方々の歌…B’zさんだったり…。

――プロになろうと思ったのは?

 若気の至りっス(笑)。カラオケ行くと「上手いよな、お前」みたいなことを言われてたんで、つい真に受けてしまって、「俺も歌手になれるのかな」って。「とりあえずADやってみよう」と。

――AD、アシスタントディレクターですか?

 ちょうど就職活動の時期に、新聞の求人広告を見てたら、おっきくラジオ局で君もラジオの番組作ってみないか、アシスタントディレクターとして働いてみないか、みたいなものがあって、「ラジオって面白い!」って思って。音楽もそうですね…。ちょうど僕、言葉も使える仕事にも携わりたかったので、韓国語、日本語、そして少し英語も勉強してたから、そういう現場、なんか楽しそうやし、音楽も一緒に勉強できるし。それまで、音楽の知識とか、全然浅かったので。

――言葉を何か生かしたいと?

 そうです。

――ラジオ局のADなら、生かせる?

 そのラジオ局がインターナショナルだったんですよ、FM COCOLO(関西の多言語放送局)っていう。いろんな外国の方がいるじゃないですか? 韓国もそうだし、中国、それこそ、インドとかスペインとかも…いろいろなんですよ。それで「おもしろそうやなぁ」と思って。

――でも、それは歌手と言うよりも、制作側、ラジオの番組を作る方でやってみようということだったんですか?

 別に作るとかいう意識は特になく、「やってたらなんかあるやろ」って思って(笑)。とりあえずやって、いい話があったらと…。業界に入ったら、何かしら、話はつかめるんじゃないか、って。

――歌手にはなりたいという思いはずっとあったんですね?

 そうですね。会社の人には内緒にしながら、歌手と言う夢を、追いました…。

周りでは実際は曲を作っていろんな活動をやっている人もいたし。そこから人脈がめっちゃ増えましたね。

――練習をしたり、曲をつくったり?

 やっていましたね。いろいろ作品とか。

続きを読む

戻る

バックナンバー

宝塚歌劇一覧へ>> 舞台一般一覧へ>> 動画掲載記事一覧へ>> 過去記事一覧へ>>

過去記事一覧へ>>

このページのトップに戻る