マイコンテンツ

ここから本文エリア

特集(1)手塚治虫さんのところに押しかけて

2012年1月24日

――まずは、音楽に触れられたきっかけを教えて頂けますか?

 実は父親がタンゴのピアニストなんですよ。当時タンゴブームというか、いわゆるダンスホールの時代ですよね。ダンスホールにはタンゴバンドとジャズバンドが出演していて、華やかな時代でしたね。だから、そういうダンスホールのようなところに小さい頃から行っていて、音楽を聞いたり、ドラムを叩かせてもらったりと、そういう感じだったので自然に触れていましたね。

――身近な、普通にあるものだったんですね。

 グレン・ミラーとかも幼稚園の頃から好きだったので(笑)。あとはピアソラとかね。最近はよく知られているけど、その頃はピアソラを誰も知らなくって。

――普通のお友達とギャップを感じたりされませんでしたか?

 ありましたね(笑)。あんまり通じなかったですね。同じ世代でグレン・ミラー聞いてる友達なんていなかったですから。中学生ぐらいになれば、ブラスバンドの仲間とかいましたけどね。

――小さい頃から自然にあったものを、仕事としてやろうと決められたのは何かきっかけがあったんでしょうか?

 音楽は子供の頃からずっとピアノをやっていたし、中学のときはブラスバンドでサックスを吹いたり、ギターも弾いていたし。いわゆるベンチャーズやビートルズの時代ですから、皆ギターを持って歩いていました。でも最初は音楽のプロになる気はなかったんです。どちらかというと映画、アニメをやりたいと思っていました。手塚治虫さんの虫プロダクションに中学生のときに押し掛けていって(笑)。

――えー!

 電話をして「見学させてください」と言ったら、「どうぞ」って。今思うとすごいんですけれど、単なるいち中学生が電話してるのに。そうしたら、僕は自分で8ミリカメラでアニメを作ったりしていたから、質問することが専門的でびっくりされて。そんなことからカメラマンの人にすごく可愛がってもらって中高時代は虫プロダクションに入り浸ってたんです。それこそ、鉄腕アトムやジャングル大帝の撮影を手伝わせてもらうまでやってたんですよ。シャッター押してましたから。

――ええー!

 だからそっちの道に進むつもりでいたのに、たまたま高校のときにやっていたバンドがヤマハのライト・ミュージック・コンテスト、のちのポプコンなんですが、東京大会で優勝しちゃったんですよ。そのとき、本多俊之のお父さんの、本多俊夫さんというジャズ評論家の方が司会していたんですが、僕らが少しジャズっぽいことをやっていたので、すごく驚かれて、レコーディングしないかという話になって。それでレコーディングしたんですよ。生まれて初めてのレコーディングはギターだったんですけれど。

 その後同級生たちと夜中に受験勉強と称して集まっていたときに、たまたまラジオの深夜番組でその曲がかかったんです。それがきっかけで、やっぱり音楽でやっていきたいかなと思ったんですよね。

――すごいですね。「レコーディングがきっかけで」ではなく、ラジオで聞こえてきたのがきっかけなんですね。

 自分の演奏がラジオから流れるという初めての経験をして、それで何か…やりたくなっちゃったのかな。

続きを読む

戻る

バックナンバー

宝塚歌劇一覧へ>> 舞台一般一覧へ>> 動画掲載記事一覧へ>> 過去記事一覧へ>>

過去記事一覧へ>>

このページのトップに戻る