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特集(2)アメリカでカルチャーショック

2012年1月24日

写真:島 健

撮影・岩村美佳

――そこからアメリカに渡られるまではどんなお仕事をされていたんでしょうか?

 初めはギターやピアノを弾いてたんですけど、だんだんジャズをやりたいと思いはじめてからは、やはりピアノをやろうと思って。24才ぐらいからミッキー・カーチスさんのバンドに入ったことからスタジオミュージシャンを始めてるんですよね。アメリカに行く前にすでに結構仕事をしてました。さだまさしさんのツアーもやっていたし、しばたはつみさんのバンドとか。アメリカに行ったきっかけというのは、レコーディングの仕事で行ったんですよ。

――そうなんですか。ロスですか?

 そうです。それが28才のときですね。そのときに一緒にやったのがスティーブ・ガッドとか、トム・スコットとか、ね。当時はフュージョン全盛の時代で、神様みたいだった人達と一緒にやることになり、もう、何ていうかね、あまりのカルチャーショックでしたね。これはもう、アメリカにいて少しでもこの空気をと思っちゃったんですよ。今思うと、何も考えないから行けたんですけどね。一度帰国して1カ月くらいでマンションを引き払って、行っちゃったんですよ。何のあてもないのに。

――すごいですね! 10代とかの勢いで行っちゃったではなくて、28才というとそれなりに色々考えそうですよね。

 (笑)。逆にいうと、すでにスタジオミュージシャンでかせいでいたのである程度たくわえもあったから、それで行けたというのもあるんですけれど。

――レコーディングしていたことが、結果的にはアメリカに行く事に繋がったということですよね。

 そうですね。

――アメリカで色々なご経験をされていると思いますが、強く印象に残っていることを何か教えて頂けますか?

 ロスに行ってから3〜4年の頃のことなんですが、マイケル・ジャクソンがジャクソンズだった時代で、僕がロスのベイクドポテトやダンテスという結構有名なジャズクラブに出られるようになっていたときに、黒人のジャクソンズのベーシストに「ツアーでキーボードを探してて、あなたが気に入ったからオーディションに来てくれ」と声をかけられて。でも僕はその頃は、ジャクソンズはもちろん知っていたけれどそんなに興味がなくて。自分はジャズをやっていたから。

――ジャンルが違いますもんね。

 でも、来てくれといわれたので一応行ったんですよ。とりあえずセッションして。そしたら盛り上がったんですよね。「じゃあ、ジャクソンズの曲何か知ってるか?」と言われたんだけれど、知らない…(笑)。

――(笑)。

 そしたら、シラーとなって(笑)。「じゃあ、何で来たの?」って。来てって言われたから来ただけなんだよね。それで、終わったんだよね。何曲か前の晩にでも聞いておいてやってたらね、ジャクソンズでやってたかもしれない。マイケル・ジャクソンと仕事していたかもしれないですね(笑)。ほんとに色々ありましたよ。アルフォンス・ジョンソンというすごく有名なベーシストから急に電話かかってきて、やっぱりバンドでキーボードを探しているからって。ジョーン・バエズのマネージャーからとかリタ・クーリッジとかね。そういうお仕事が結構来ましたよ。ホセ・フェリシアーノの全米、中南米ツアーにも参加しました。

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