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特集(2)歌劇がスタートした日の紙面

2012年5月17日

写真阪急沿線(箕面・宝塚)の広告=1913年(大正2年)10月30日付紙面より

 1914年(大正3年)4月1日、宝塚歌劇がスタートした日、大阪朝日新聞には「花の四月の宝塚、婚礼博覧会開会、少女歌劇公演」と書かれた広告が10面に掲載された(写真下)。しかし、少女歌劇スタートを告げる記事はどこにも見あたらない。

 そこで、紙面をさかのぼって調べたところ、同年3月11日付の9面に「少女歌劇『胡蝶』(宝塚少女音楽団の稽古)」と書かれた写真が大きく載っていた(写真中)。第1回公演の演目のひとつ「胡蝶の舞」の1シーンと思われるが説明の記事が見あたらない。前年の1913年10月30日には「女優劇 おなじみの美人劇」と書かれた広告が見つかったが(写真上)、これは「女優」であって、「少女歌劇」ではない。1913年から14年にかけて出演者が「女優」から「少女」に変わったことがわかる。

 阪田寛夫が書いた「わが小林一三」によると、箕面電鉄創始者の小林一三は、以前は沿線の客寄せとして男性向けに芸者の踊りや「遊女会」と称した催事を行ってきたが、1913年(大正2年)より女性や子供向けの催しへと180度方針を変えていった。婚礼博覧会はその一つで、余興として少女歌劇を観覧無料で見せており、変化する女性の「大正時代」を読み取ってしまう感受性と想像力が一三の凄さだと書いている。

写真少女歌劇第1回演目作品「胡蝶」の稽古写真=1914年(大正3年)3月11日付紙面より

写真婚礼博覧会と少女歌劇の広告=1914年(大正3年)4月1日付紙面より


























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