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特集(1)劇作担当者と生徒の結婚、第1号

2012年6月14日

写真坪内士行と雲井浪子、結婚話の記事=1919年(大正8年)4月2日付紙面より

 1919年(大正8年)春、宝塚少女歌劇の劇作担当者・坪内士行(つぼうち・しこう)と娘役の雲井浪子の結婚話が新聞紙上を賑わした。

 士行は、作家・劇作家坪内逍遥の養子で劇文学研究を行っていたが、フランス人女性と結婚したことで逍遥から勘当され、1918年(大正7年)9月、創始者小林一三が宝塚少女歌劇に迎えた。(宝塚歌劇団発行「宝塚歌劇五十年史」より)一方、雲井は宝塚少女歌劇第1期生で人気を背負っている生徒であった。

 1919年(大正8年)4月2日付、大阪朝日新聞朝刊7面には士行のインタビューを掲載している(写真上)。インタビューの冒頭では、まだ離婚もしていない、一人前の女優にしたいと妹のように思い教えている、と言っているが、私は好きであり見所のある人に対しては慎重に真面目に考える、私の家庭に入れて妻にするならシリアスに考えないと、と変わっていき、「奥歯に物のはさまった様な言い方でなく申し上げる日も近い」と締めくくっている。

 その後二人は、1919年7月21日、大阪靭太神宮で小林一三媒酌のもと結婚式をあげた。劇作担当者と生徒の結婚第1号である(朝日新聞社発行「おお宝塚60年」より)。同年7月22日付、大阪朝日新聞朝刊7面に掲載の記事には、「三国一の花嫁花婿ぶり」の見出しで、身動きが出来ないほどの見物人で雲井を乗せた車も立ち往生したと書いている(写真下)。

 花嫁の衣裳にも触れ、雲井浪子の「雲と浪」を利かした着物、髪は文金高島田に鼈甲笄(べっこうこうがい)で、神前までの態度は舞台で慣れているだけあって天晴れだと称賛している。

写真坪内士行と雲井浪子、結婚式の記事=1919年(大正8年)7月22日付紙面より




































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