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特集(2)その後の坪内士行と雲井浪子

2012年6月14日

写真雲井浪子、道頓堀の檜舞台への記事=1921年(大正11年)4月21日付紙面より

 劇作担当者の坪内士行と宝塚歌劇第1期生で人気のあった雲井浪子の結婚話が新聞紙上を賑わせてから2年経った1921年(大正10年)4月21日付、大阪朝日新聞夕刊2面に雲井が舞台に立つという記事を掲載している(写真上)。

 「道頓堀の檜舞台へ」という見出しで、宝塚の山奥ではなく道頓堀の真ん中にある中座で、義父にあたる坪内逍遥作「和歌浦」に出るという。1921年5月13日付の、「五月の中座」中村鴈治郎談の記事には、舞台監督は坪内士行氏が自ら指揮をし、特別出演の坪内操は元宝塚の雲井浪子で美しい鮮やかな舞の手振りを十分にお目にかけますと書かれている。

 さらに3年後の1924年(大正13年)5月3日付の東京朝日新聞朝刊7面には、「お久しぶりの士行さんご夫婦でホテルの舞台へ」との見出しで、夫婦で舞台に出ている写真付きの記事を掲載している(写真下)。

 その後も士行についての記事が度々登場する。中には前妻のホームス夫人のその後を伝える記事もあった。

写真御夫婦でホテルの舞台への記事=1924年(大正14年)5月3日付紙面より

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