マイコンテンツ

ここから本文エリア

特集(3)化粧品の広告とタイアップ

2012年6月14日

写真小林一三、顔写真入りの記事=1919年(大正8年)5月24日付紙面より

写真脚本懸賞募集の広告=1923年(大正12年)8月6日付紙面より

 1919年(大正8年)5月24日付の東京朝日新聞の7面に、宝塚少女歌劇創始者の小林一三が第2回東京公演について語っている記事を、初めて顔写真入りで掲載している。好評だった東京公演を玄文社の「新家庭」の主催で再度開催できることに感謝し、出演する生徒の名前まで書いており、そこには1980年(昭和55年)宝塚歌劇団生徒のままこの世を去った天津乙女(宝塚歌劇団発行「宝塚歌劇の70年」より)の名前もある。

 記事の半分は伊東胡蝶園の化粧品御園白粉(みそのおしろい)についての内容で、第1回東京公演から進歩したことの1つに舞台での扮装をあげ、伊東胡蝶園の御園式化粧法を習得した為であると書いている。御園白粉は自由な化粧ができ純無鉛製で、良家の子女を生徒にしているので鉛毒の心配がなくなり喜んでいるとし、生徒が使用している化粧品まで細かく書いている(写真上)。

 さらに1923年(大正12年)8月6日には、伊東胡蝶園が宝塚少女歌劇の脚本を募集する広告が載っている(写真下)。懸賞金付きで、新しくできる大歌劇場の第1回公演で上演すると書いている。1等の懸賞金が500円(日本銀行の「企業物価戦前基準指数」から換算すると、現在の約27万円)。この募集された脚本は、翌年に玄文社が「宝塚懸賞記念脚本集 伊東胡蝶園編」として、厳選した7篇を収録し出版している。

続きを読む

戻る

バックナンバー

宝塚歌劇一覧へ>> 舞台一般一覧へ>> 動画掲載記事一覧へ>> 過去記事一覧へ>>

過去記事一覧へ>>

このページのトップに戻る