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特集(4)少女歌劇場(大劇場の前身)が全焼

2012年6月14日

写真宝塚少女歌劇場全焼の写真=1923年(大正12年)1月23日付紙面より

 1923年(大正12年)1月22日、宝塚少女歌劇場が全焼した(写真上)。同年1月23日付、大阪朝日新聞夕刊2面には、火災を伝える記事を掲載している。午前2時40分頃、歌劇場の電気室から出火しているのを発見。舞台の緞帳に燃え移り瞬く間に劇場を全焼し、六甲おろしに吹き煽られて学校・事務所・食堂などを焼いた。晴天続きで乾燥の上武庫川の水は僅かしかなく、浴場だけが残って午前5時にようやく鎮火。大阪や神戸からも紅く燃え盛る空が見え、風下にあたる清荒神まで飛び火した、などと書いている。

 阪急電鉄専務であった小林一三のコメントを掲載。罹災建物は800坪で25万円の損害。残った温泉は24日から開場し、歌劇場も3月20日からの春季公演に間に合わせるように急造するとし、この時すでに3階建て鉄筋コンクリートの歌劇場を建築する予定があったことも話している。

 また少女歌劇と言えば宝塚・宝塚と言えば少女歌劇と知られた土地で、歌劇場の焼失は宝塚の財産を無くしたようだとまで書いていて、すでに宝塚少女歌劇が有名であったことがわかる(写真下)。

 収容人数が4千人という巨大な宝塚大劇場が完成するのは、この1年半後の1924年(大正13年)7月である。

写真宝塚少女歌劇場全焼の写真=1923年(大正12年)1月23日付紙面より

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 この連載は月1回の掲載で、次回は、宝塚大劇場の落成、初のレビュー「モン・パリ」公演など華やかな時代の宝塚を紹介する予定です。

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⇒「朝日新聞で見る宝塚の100年」の記事一覧はこちら

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【2】「ドンブラコ」で少女歌劇はじまる
【3】劇作担当者と生徒の結婚で大騒ぎ
【4】「レビュー」の誕生〜華やかな時代へ
【5】戦時下の宝塚と初めての海外公演
【6】戦後の宝塚〜新たな宝塚時代の幕開け
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