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特集(4)レビュー「モン・パリ」誕生

2012年7月12日

写真          レビュー モン・パリの広告=1927(昭和2)年9月1日付紙面より

 「レビュー」とは何か?

 広辞苑では、「踊りと歌とを中心にコントを組み合せ、多彩な演出と豪華な装置とを伴うショー。もとパリで、毎年12月に1年間の出来事を急激に場面を転換させながら風刺的に演じた1種の喜劇。第一次世界大戦後各国に流行」とある。

 宝塚少女歌劇ではレビューをこう説明している。「音楽を基盤に、歌、ダンス、ドラマなどあらゆる要素をふくみ、近代人のセンスと欲求から生まれた、急速なテンポと自由性をもつ新形式の音楽劇」(宝塚歌劇団発行「宝塚歌劇の70年」より)

写真「モン・パリ」東京公演について書いた記事=1928(昭和3)年3月29日付紙面より

 1927(昭和2)年9月1日、宝塚少女歌劇で日本初のレビュー「モン・パリ(吾が巴里よ)」が上演された。その日の大阪朝日新聞夕刊4面には、「世界漫遊みやげ・レヴュウ 吾が巴里よ!」と広告が掲載されている(写真上)。幕なし16場・登場人員210名・演出時間2時間余とあり、前出の「宝塚歌劇70年」では次のように書かれている。「当時この“幕なし16場”とうたった90分のレビューを上演するのは大問題であり、特に衣装・装置などの製作費はそれまでの1年分を要するものであった。しかし、『良いものならやれ』という阪神急行電鉄の小林一三社長の決断によって、一挙に上演が決定したのである。幕をあけてみれば、流れるようなスピーディーな場面転換、清新なジャズやシャンソンの歌声、手足を露出したモダンな衣装、それに豪華な背景……すべて日本で初めて公開される目新しいものばかりであった」と。

 現在、宝塚歌劇の公演で登場するラインダンスと大階段も、この「モン・パリ」で初めて披露された。初めてのラインダンスは24人、大階段は16段だった。主題歌が全国に流行し、1928年(昭和3年)7月まで組を変えて再演、長期公演の記録を作った。(宝塚歌劇団発行「宝塚歌劇の70年」より)

 また、1928年3月29日付の東京朝日新聞朝刊12面に、「モン・パリ」東京公演時の記事が掲載されている。サラリとした賑やかさ、歌も踊りも上達し、小さい体で大きい歌舞伎座の舞台を背負っていける、芸術論は抜きにして幕なし16場の矢継ぎ早に変わっていく場面がただ他愛なく華やかでいい、と好意的に書いている(写真下)

 この後、新作レビューを続けて公演し、1930(昭和5)年8月に「パリ・ゼット」を初演。その主題歌が今でも歌われている「すみれの花咲く頃」「おお宝塚」である。

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