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特集(3)「イナカモン」のちょっとした違和感

2012年8月29日

写真:「フットルース」公演より梅田芸術劇場公演「フットルース」より=(C)宝塚歌劇団 撮影:岸隆子

 じつは、観劇に先だって映画の「フットルース」を見たとき、えも言われぬ切なさを感じてしまった。もともとイナカモンで、大学進学を機に都会に出て来た私としては、アリエルやレンの気持ちが「痛いほどわかる!」のである。長距離列車を前にして都会に夢を馳せるアリエルは、まさに高校時代の私だった。

 私の育った町はボーモントほどの極端な田舎町ではない、田舎としては中途半端な地方都市であったのだけど、それでも「この町ではいつも誰かが見ている」という感覚はよくわかる。ウィラードが言う「眼鏡を買うならスーパーマーケット」というのもそのとおりだと思う。なにしろ、郊外にあるイオンや西友が、町で一番イケてるショッピングゾーンなのだから。

 もし今、レンのような若者が都会から我が地元などにやって来たら、まさに「町おこし」の救世主になれるはずだ。だが、現実にはレンのような若者はなかなかいないし、私だってレンにはなれなかった。日本中の地方都市で「ファスト風土化」が進む今の時代にあっては、この作品は見せ方次第で問題提起にもなりえる。

 だが、タカラヅカ版はそういう作りにはなっていなかった。映画は、都会から来た青年がボーモント中の人々を相手どった、孤独な戦いだが、タカラヅカ版は「自由を求める若者が、頭の固い大人と戦って勝利する物語」に特化していた。だから、レンはクラスメイトたちと一致団結して戦うし、ラストのダンスパーティーは大人たちも入り交じって一緒に踊って終わる。そこが、映画との大きな違いだ。

 だから、最初にタカラヅカ版をみたときに少しだけ違和感があった。まず制服。十分可愛い! この可愛さはまるで都会の私立高校だ(もっとも最近は、田舎の高校の中にも制服の可愛さが売りの学校はあるが)。それに、着こなしのセンスも良く、一人ひとりがお洒落を楽しんでいる。田舎特有の、息の詰まるような閉塞感は舞台からはあまり感じられなかった。今のままで十分楽しいんじゃないだろうか、この町は!?

 …まあ、それもそのはず。タカラヅカ版は「田舎vs都会」の物語から、「大人vs若者」の物語に置き換わっているのだから当然だ。そもそも「夢のない田舎」のリアルな現実を、夢を売るタカラヅカが描くのは無理だから、タカラヅカ版はこれで良いのだろう。あまり難しいことは考えずに、ノリノリでペンライトを振って楽しむべし、なのだ。

 劇場に行くことを「登校」と称し、観客も高校時代に戻ったような気分でペンライトを振った。これは観客の側もちょっとした「心の解放」が求められる。その点で、新たな観劇スタイルを求められる作品だったといえそうだ。博多座では、ペンライト2本、3本、4本使いの人も増えて来たらしい(指と指の間に挟めば最大8本振れるが、これを実際にやった猛者はいるのだろうか?)。8月25日の千秋楽では、きっと客席中に光がさざめき、レンやアリエルたちの「卒業式」を美しく彩ったことだろう。

◆「フットルース」
《梅田芸術劇場公演》終了
《博多座公演》終了

《筆者プロフィール》中本千晶 フリージャーナリスト。1967年山口県生まれ。東京大学法学部卒業。株式会社リクルートで海外ツアー販売サイトの立ち上げおよび運営に携わる。2000年に独立。小学校4年生のときに宝塚歌劇を初観劇し「宝塚に入りたい」と思うも、1日で挫折。社会人になって仕事に行き詰まっていたとき、宝塚と再会し、ファンサイトの運営などを熱心に行なう。宝塚の行く末をあたたかく見守り、男性を積極的に観劇に誘う「ヅカナビゲーター」。11年10月に「なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか 」(東京堂出版)を出版。

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