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特集(5)「新専科」制度の波紋

2012年11月22日

写真「宝塚にも 自由競争の風」の記事=2000(平成12)年6月26日付紙面より

写真新専科制度について書かれた記事=2001(平成13)年11月6日付紙面より

 「宝塚にも 自由競争の風」の見出しで、ベテランの生徒が在籍する「専科」の制度改革に関する記事が、2000年(平成12)年6月26日付け朝日新聞東京版夕刊20面に掲載された(写真上)。記事には、「宝塚歌劇団が、五つの組から準トップと三番手の男役スター計十人を専科に移す大規模な改革を今月一日付で行い、ファンに波紋を広げている」とし、「トップの退団に伴って同じ組の準トップが昇格する『年功序列型』から、組の枠を超えた『自由競争』への転換を図った制度改革といえそうだ」と書いている。そして当時の宝塚歌劇団の植田紳爾理事長は「よりよい舞台をつくるために、競争原理を採り入れた」「組の中では、準トップや三番手はトップの敵役ばかり務めることになり、お客に飽きられてしまうこともある。各組を回ってさまざまな経験をすることで、実力も伸びる」と話している。また、「『二年間舞台の仕事がなかったら、辞めてもらう』(植田理事長)と厳しい対応も打ち出している」とも書かれており、ファンから歌劇団の公式ホームページに「トップ以下、信頼関係や一体感を作り上げていくのが『組制度』ならではの良さ」「この改革で本当に上手に生徒をいかすことができるのか」と「新専科」とも呼ばれた制度改革についての不安が寄せられているとある。

 現在、専科で活躍中の轟悠について、2001(平成13)年8月30日付け朝日新聞東京版夕刊13面に、雪組トップスターから専科へ移ることが報じられた。記事には、「同歌劇団ではトップを務めた後は退団するのが通例で、専科で活動を続けるケースは榛名由梨以来19年ぶり。春日野八千代から数えて6人目という」とあり、轟は「17年間、男役で舞台に立っており、(退団後の)女優姿は想像もつかない。迷っていたときに専科の話があり、引き受けました。大好きな宝塚で男役を全うしたい」と、当時の心境を語っている。轟は、1985(昭和60)年に初舞台をふみ、1997(平成9)年9月〜2002(平成14)年2月11日まで雪組のトップを務め専科へ異動、現在もバウホールなどで主演公演などを行っている。

 また、制度改革があって1年5カ月ほどたった、2001(平成13)年11月6日付け朝日新聞東京版朝刊13面に、この制度改革についての記述がある(写真下)。「歌劇団の植田紳爾理事長は昨年、5組の準トップと3番手の男役10人を専科に移す組織改革を行った。順送りで昇格する慣例を廃し、各組に横断的に出演させて競争を促すのが狙いだった。『若手の抜てきもありうる』と植田理事長は当時語っていたが、新トップ4人はすべて準トップからの昇格組。かつての大地真央や天海祐希のような大スターを育てるべく若手登用をはかりたい思いと、一歩一歩努力してきた人を大切にしたい思い。一連のトップ人事には、年功序列と実力主義の転換期にある日本の企業社会の姿がそのまま映し出されたようにも思える」と、新しい制度について分析している。

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 この連載は月1回の掲載で、次回は最終回。「新東京宝塚劇場」「新たなジャンルの開拓」「100年へ向かって」などを紹介する予定です。

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