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特集(2)逃げ場がないが殻にも閉じこもれないシシィ

2013年3月18日

写真:ウィーン、ライムント劇場ウィーン、ライムント劇場前で=撮影・岩橋朝美

 さて、前置きが長くなった。いよいよ舞台の感想に入ろう。幕が開くなり、登場するのはおなじみイタリア人アナーキスト、ルキーニ。ルキーニがエリザベート(以下、シシィ)を暗殺したヤスリをモチーフにした跳ね橋を駆け上がり、彼の呼びかけによってハプスブルク家の死者たちが、まるで墓所から這い出るように舞台下からせり上がる。このような高低さを生かした装置や盆を多用し、観客の視線を縦横に動かす演出はウィーン版ならでは。初めて見た際は、そのテンポの速さと前衛的なセンスに驚いたものだ。ヤスリの跳ね橋やゆがんだ馬車など、ハプスブルク家に立ち込める暗雲をデフォルメした不吉なイメージのセットもまた、見る者の心をざわつかせる。

 これら舞台セットは前公演を踏襲しているものだが、今回は衣装を一新している点にも注目。なかでもトートは前回のクラシカルな燕尾服から、黒衣装、白衣装ともに二の腕にキルティングが施されたレザーコートに変更され、かなり現代的でロックな雰囲気。その他の衣装も、全体的に色や柄がハッキリし、光沢の強さが目立った。後述するキャスティングや演技にもいえるが、より現代的な方向を狙ったのだろう。またルキーニのナンバーでおなじみの「キッチュ」(まやかしという意味とともに、けばけばしいという意味もあり)を衣装にも取り込んだようにも感じられ、とてもおもしろく感じた。

 一方でバート・イシュルのお見合いでシシィが着ているドレスは、バイエルン地方のチロル風であったり、細かいところにも気を配られている。ただひとつ、ゾフィーやその女官の衣装から、軍国主義の象徴ともいうべき肩章が外されたのだけはやや残念。舞台セット、衣装を見るだけでも、華やかな宝塚版や重厚な東宝版に比べて、かようにウィーン版は現代的で痛烈な皮肉を感じさせるのだ。

 さて、この作品の魅力は、演出やキャストのアプローチによって、作品の解釈のふり幅が大きいことがある。今回は、7年ぶりということもあり、キャストを一新。それによって、とてもエネルギッシュで、いい意味で若さが全面に出ている。たとえば、円熟味を増したマヤ、マテ共演による12年来日公演とは、同じ作品と思えないほど受け取る印象がまったく違う。後半に比重を置き、強さの裏にある悲しみや絶望の深さ、過ぎ去った年月の重さにじっくりと気持ちを重ね合わせた来日版と比べると、現ウィーン版は主要登場人物にも若さゆえの気持ちの揺れや惑い、そしてエネルギーを強く感じるのだ。

 その筆頭格がアンネマイケ・ファン・ダム(Annemieke van Dam)が演じる新生シシィ。瞳が大きく可愛らしさをも備えた美人という点は、実際のシシィのイメージとも重なる。前回見たときは緊張からくる硬さが見られたが、5カ月を経て大きく成長していた。

 彼女のシシィは正直でパッショネートであると同時に前半はセンシティブ、後半はアイロニックな面が際立つ。相反する性質が内在しているため、感情の起伏が大きく、ひとつの楽曲の中でも表情が多彩に変化するのが魅力だ。例えば、「私だけに」は高音域が広く透明感のある彼女の歌声もあいまって、若さゆえのアイデンティティーのゆらぎと、私は私だけのものという強い自我のバランスの危うさがビビッドに伝わってくる。

 そして、ゾフィーとの対立や死を迫るトートとの闘いを通じて、シシィは己の美貌を磨き、自信を取り戻すことで本来の気の強さを発揮していくのだが、ただのストロングスタイルに見えないのは、根底に人生を楽しみたいと願うシシィのパッションがほのみえるからだ。また、2幕以降では、精神病院での「魂の自由」で特に顕著なように、空しい戦いを続ける自分たちを皮肉るような笑みが印象的。すなわち、自分を客観的に捉える知性を備えた彼女は、自分の殻に閉じこもり悲劇のヒロインを演じることもできないのだ。

 このアイロニックなシシィ像は新鮮であると同時に、皮肉屋でユーモアがあったとの証言が残っているシシィの実像とも合致する。自分を俯瞰するもうひとりの自分の存在がいて、逃げ場がない。とても現代的なヒロインだ。そして、どんなに抑えようとも、内に秘めた情熱が怒りや反発という形でにじみ出てしまう人間臭さに心を揺さぶられた。

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