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特集(3)俺様トートが「愛と死の輪舞」で乱される

2013年3月18日

写真:ウィーン、ライムント劇場ウィーン、ライムント劇場前で=撮影・岩橋朝美

 この複雑な感情を内包する現代的なシシィの魅力に翻弄されるキャラクター陣も、それぞれ前公演とは違う趣を見せる。

 まずは、彼女を死の世界へと執拗に導くトート。トートを演じるのはマーク・ザイベルト(Mark Seibert)で、過去には、日本でも近年人気を博しているミュージカル「ロミオ&ジュリエット」のウィーン版でティボルトを演じている。荒くれ者のティボルト役がくることからもご推察の通り、筋肉質で厚みのある肉体、骨格のしっかりしたゲルマン系の顔立ち、オールバックにした波打つ金髪など、どこを切っても男らしさが際立つルックス。

 中性的なウヴェ・クレーガー(初演)、野獣的だったマテ・カマラス(再演)と次第に男らしさを増しているトートではあるが、それにしてもここまで男らしいトートは、日本版の歴代トートを眺めても類を見ない。

 そして、役作りも同様に男っぽく俺様。一見ニヒルだが、思い通りになびかないシシィに苛立ち、時折彼女への愛を持て余すかのように粗野な行動をとる。黄泉の帝王(日本版でつけられた呼称で、ウィーン版ではそのような説明はない)というような一段上から見下ろしているのではなく、カリスマ性はあれどもっとラフで、レザーコートの衣装もあいまって、ワルッぽくセクシーな雰囲気で、シシィ同様、今まで以上に現代的なトート像を打ち出していた。

 ウィーン版ではトートとシシィの間に甘美な空気がほとんど流れず、常に互いをけん制しあいねじ伏せようとする激しいやりとりが見ものだ。

 また、ウィーン版のトートはシシィの心にある死への憧れを具現化した存在、すなわちシシィのもうひとりの自分という位置づけとされているにもかかわらず、そのトートが甘く優しい存在ではないのは、トート像にもシシィのアイロニックな視点や、死を求める一方で死を拒絶し自分らしく生きることに執着したシシィの引き裂かれた思いが反映されていると考えるのはうがちすぎか。

 たとえば「私が踊る時」。シシィがゆがんだ馬車(このセットはルドルフとトートのシーンでも多用される)を押して登場し、その上で皮肉っぽく笑うトート。「ひとりで踊るわ」と、実際にひとりでクルクルと踊るシシィを、今度はトートが腕をねじりあげたり、シシィの首元をぐっと引き組み伏せようとする。まるで、互いに自己を主張しあう鏡だ。「死」を内在させながら、シシィは時に余裕を見せながら、時に真剣に戦っているのかもしれないと思った。

 なお、トートに関しては、マーク版と2ndキャストのオリバー・アルノ(Oliver Arno)版も見たが、「最後のダンス」の途中で壁を思い切り叩くなど粗野な印象を与える仕草は踏襲していたので、やはり衣装の変更も合わせて、意図的にトートのキャラクターから今までよりも甘さを削ったのではないかと思う。ただ、爽やかで好青年風のルックスのオリバーのほうがやさしい印象ではあったが。

 ちなみに今回より、日本ではおなじみながらウィーン版ではなかった「愛と死の輪舞」が追加されている。日本版ではトートがシシィへの愛を歌うソロナンバーだが、ウィーン版はデュエットで、シシィへの愛を自覚しながらも受け身のトートに対し、積極的に親しみを示すシシィが印象に残る。ゆえに、トートがシシィとフランツの結婚を自身への裏切りととらえる流れが自然でわかりやすかった。これを機に、自分のルールで生きてきたトートが、アンビバレントなシシィによってかき乱されていく。ウィーン版ではプロローグで「誰もが死と戯れていた、しかし、誰もエリザベートにはかなわなかった」と歌われるが、その通り。「死」という本来揺らがないものさえ、シシィの前では危うく乱されるのだ。

 マーク・ザイベルトは歌声が甘く高音を気持ちよく張れるため、「闇が広がる」がとくに絶品。彼は7月に東京と大阪で開催される「ウィーン・ミュージカル・コンサート2」への出演が決まっているため、そこでぜひとも披露してもらいたいものだ。

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