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特集(5)フランツを拒絶するのではなく、諭す

2013年3月18日

写真:ウィーン、ライムント劇場ウィーン、ライムント劇場前で=撮影・岩橋朝美

 フランツィスクスのフランツは、マザーコンプレックスを感じさせつつ、初めての恋心に上気したり、結婚後は妻に対して強く出る場面で調子に乗ってしまったり、生真面目な性格の下に素直な感情の発露や若さゆえの傲慢さが垣間見えるのがとても人間らしくて共感できる。そして、常にシシィの影響力を感じさせ、1幕のラストの、シシィを見つめる彼は、まさしく女神を崇めるようだった。

 また、シシィを愛しながら、ついぞ彼女の感性を理解できなかったフランツと、そんなフランツとは理解しあえないながらも、皇帝としての彼を尊敬していたというシシィ。「夜のボート」で、「帰ってきてほしい」と願うフランツに、拒絶するのではなく「もう奇跡は起きないことを認めなければならない」「どうしようもないのよ」と諭すように歌うシシィが印象的だった。そこには、自分たちを鳥のように俯瞰しているシシィがいる。地上(=ハプスブルク帝国の規範の中)でしか生きられないフランツとの対比が一層明確になって物悲しい。

 そして、もっともシシィに影響を受けた息子ルドルフを演じたのはアントン・ツェッターホルム(Anton Zetterholm)。母に似てリベラル思想で、ハプスブルク帝国の終焉を誰よりも肌で感じ、皇太子の身でありながら革命運動に身を投じる。ウィーン版では、青年ルドルフが登場するなり、「闇が広がる」が展開し、ルドルフはトートの意のままに引きずられ、倒され、その過激さには目を見張る。

 アントン・ルドルフはうつろな表情でトートのされるがまま、すでに精神が死にかけているように見える。なお、このシーンはマークの高音の張りと、アントンのバリトンボイスの相性が抜群。今回、アントン・ルドルフを見てはっとさせられたのが、アンネマイケ・シシィの役作りと呼応するように、ふとした瞬間に皮肉な笑みをたたえるところだ。シシィを鏡に映したように似ている彼も、沈む運命でしかない時代遅れの君主国家の皇太子として生きるには、知性と感受性が豊かすぎた。

 それゆえに「僕はママの鏡だから」は心に突き刺さる。ウィーン版はシシィとルドルフはガラスで仕切られ、ルドルフは母の背に向けて思いを吐露する。前半の母への思慕と共感はほぼルドルフのひとり言、後半、母に父への進言を依頼する彼は息子から母へではなく、皇太子から皇妃へと立場を変える。緊張と思慕とで表情は小刻みに変化し、手は震えている。しかしながら、一世一代の哀願はすげなく拒否されてしまう。

 ルドルフの表情には、ショックよりも「思っていた通り……」とでもいうような哀しい笑みが張り付いていた。この表情をシシィが見ていたならば、なんて自分とそっくりなのかと思ったに違いない。母に拒否されることを暗にわかっているような、それでも一縷の望みをかけずにはいられなかったルドルフに胸が痛んだ。

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