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特集(3)男役DNAに刻まれたエスプリ

2013年7月16日

 改めて振り返ってみると、巴里祭というのは、そのセンターに立つスターにとって、そしてそのファンにとっても特別なものではないかということに思い至る。

 「モン・パリ」以来、パリの街には所縁の深いタカラヅカ。今回のトークタイムでも、「パリを舞台にしたタカラヅカの作品は?」というお題が出た。8人のメンバーから挙げられたのは、まずは「ベルサイユのばら」、ミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」「ファントム」、オリジナルの「パリの空よりも高く」、ショー「ル・パラディ」、轟が雪組トップスターだった時代の「再会」「凱旋門」、そして、これから花組で上演予定の「愛と革命の詩」。轟は、自身の初舞台でもある「愛あれば命は永遠に」と、雪組トップ時代のショー「パッサージュ」を挙げていた。

 今回の出演者が思いつくものだけでこれだけあるのだから、名作からオリジナルまで、パリを舞台にした作品は数知れずあるということだろう。正確にカウントしたわけではないが、おそらく一番多いのではないか? やっぱりドイツではなくフランス、ロンドンではなくパリなのである。

 こうしてタカラヅカの男役DNAに深く刻み込まれてきたパリのエスプリ。巴里祭でそれが体現されるときに、男役100年の伝統と、それぞれの男役の個性が融合する。それこそが巴里祭の魅力ではないだろうか?

 轟悠は個人としてもパリ好きで有名だから、巴里祭はまさに適任だと思った。だが、過去の巴里祭にもその年ごとに違う表現があり、魅力があったに違いない。たとえば星組の柚希礼音は、2007年の巴里祭のアンコールで、「セ・マニフィーク」を歌っている。この曲はかつて星組で鳳蘭がトップスターだった時代に上演された同名のショーの主題歌であり、今や鳳の持ち歌のようになっている曲だが、星組の伝統を受け継ぐスター柚希が歌うのも、きっとお似合いだったことだろう。

 恥ずかしながら、これまで行ったことがなかった巴里祭はとても新鮮な体験だった。分け入っても分け入っても、まだまだ知らないことばかり…恐るべしタカラヅカワールド!である。

※参考文献
「歌劇」1993年8月号
「宝塚歌劇団スタディーズ」戎光祥出版

《筆者プロフィール》中本千晶 フリージャーナリスト。1967年山口県生まれ。東京大学法学部卒業。株式会社リクルートで海外ツアー販売サイトの立ち上げおよび運営に携わる。2000年に独立。小学校4年生のときに宝塚歌劇を初観劇し「宝塚に入りたい」と思うも、1日で挫折。社会人になって仕事に行き詰まっていたとき、宝塚と再会し、ファンサイトの運営などを熱心に行なう。宝塚の行く末をあたたかく見守り、男性を積極的に観劇に誘う「ヅカナビゲーター」。12年11月に「ヅカファン道」(東京堂出版)を出版。

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