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特集(1)トリコロール…自由、平等、愛

2013年11月19日

写真:「愛と革命の詩」より「愛と革命の詩(うた) ―アンドレア・シェニエ―」より、アンドレア・シェニエ役の蘭寿とむ=撮影・岸隆子

 この作品、ポスターデザインからして衝撃的だった。フランス国旗状態の赤、白、青に三分割された背景の上に、主人公3人がそれぞれ配されている。そして実際の舞台でも、アンドレアの衣装は青系、マッダレーナは白系、そして、ジェラールは赤系(赤茶系)で統一されているのだ。3人で並ぶと…そう、トリコロールカラーである。

 アンドレアは最期まで魂の「自由」を求めた人だった。ジェラールは「平等」な社会を作るために革命に身を投じた。そして、マッダレーナは「愛」に生きるために命を投げ出した。「自由・平等・(友)愛」…そう、フランス革命のスローガンである。

 冒頭とラスト近くで、そんな3人が居並び「魂の翼広げ(生きていきたい)」と歌い上げる。この作品の真骨頂ともいえる、シンメトリーな美しさを感じさせるシーンだ。詩人としての志を全うしようとするアンドレア、まだ見ぬ恋人との出会いの予感に胸をときめかせるマッダレーナ、そして、革命に向けて闘志を燃やすジェラール。冒頭の3人は、夢と希望に満ちている。

写真:「愛と革命の詩」より「愛と革命の詩(うた) ―アンドレア・シェニエ―」より、マッダレーナ・ド・コワニー役の蘭乃はな=撮影・岸隆子

 だが、物語のラスト近くに再び同じ歌を歌うとき、アンドレアは魂の「自由」を守るために死を選ばざるを得ない状況に直面している。マッダレーナは「愛」する人が死への第一歩を踏み出すのを止めることができない。そして、ジェラールは戦って勝ち得た「平等」な世界のむなしさを噛み締めるばかりである。まるで対照的な状況において、同じ歌を歌う3人。それぞれの理想を求めた結果が「これ」なのだ。

 そこに、ジャコバン党のジュール・モラン(春風弥里)が、裁判の開始を告げに来る。革命の顛末に疑問を抱くジェラールとは違い、彼には一寸のブレもない。そうだ、モランのテーマカラーは「黒」なのだ。まるで深い闇のような彼の存在感が増すほどに、時代に翻弄される3人の悲劇性も際立つ。春風はこの作品をもって退団するが、最後に「いい仕事」をしたと思う。

写真:「愛と革命の詩」より「愛と革命の詩(うた) ―アンドレア・シェニエ―」より、カルロ・ジェラール役の明日海りお=撮影・岸隆子

 ところで、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」(鈴木晶訳)という本をたまたま読んだのだが、その中にこんな気になる一節があった。

 「偽りの愛の一種で、よく見受けられるのが偶像崇拝的な愛である。これはよく映画や小説などで『大恋愛』として描かれる。ある人が、自分の能力の生産的な使用に根ざした、しっかりとした自意識をもつにいたらなかった場合、愛する人を「偶像化」しがちである。そういう人は自分の能力から疎外され、その能力を愛する人のうえに投影する。そのため、愛された人は「至高善」として、すなわち、すべての愛と光と幸福をもった者として、崇拝される…(後略)」

 この一節を読んだときに、思わずアンドレアとマッダレーナの関係性に思いが至ってしまった。主演の蘭寿とむにとって念願の「大恋愛物」といわれる今回の作品。だが、アンドレアとマッダレーナは果たして、お互いを思いやる本当の愛情で結ばれた関係だったのだろうか? アンドレアはマッダレーナを「自由」な創作欲をかき立てるミューズとし、マッダレーナはそのミューズ役に我が身を投じることで、理想の「愛」の世界を体現しようとした。2人はそれぞれ、自分が最も大切にする価値観のために生きた、そのためにお互い相手が必要不可欠だった。そういうことなのかもしれない。 

 しょせんは夢の世界のお話だからそんなことはどうでもいいといえばいいのかもしれないのだけど、考えれば考えるほど、興味深い問題である。

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