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特集(2)混じり合わない兄と弟

2013年11月19日

 お互いがそれぞれの理想に向かってしか生きることができず、決して混じり合うことのなかった関係といえば、アンドレアと弟マリー=ジョゼフ・シェニエ(華形ひかる)との関係がまさにそうだ。アンドレアとマッダレーナ、ジェラールの関係が物語の縦糸とすれば、この対照的な兄と弟の関係は、この物語を織り成す横糸だ。

 マリー=ジョゼフは世渡りの下手な兄を侮蔑してみせるが、心の奥底では敵わないという思いがある。弟として兄を思いやる行為は、世俗を超越した兄にことごとく裏切られる。

 対照的な道を歩む兄と弟。アンドレアの生き方は表現者としての理想だが、現実の世の中で成功するのは、世間の求めるものを素早く嗅ぎ分け、巧みに応えてみせるマリー=ジョゼフなのだ。このタイプ分けは現代でもそのまま当てはまるから、身につまされる人も少なくはないだろう。ライフワークとライスワーク、芸術とお金の関係は永遠のテーマである。

 そんなマリー=ジョゼフが常にイエロー系、辛子色のような衣装を着ているのも意味深だ。アンドレアの青とは補色の関係、混じり合って新たな色を生み出すことはない。あるいは黄色=「お金」を暗示しているのだろうか。

 牢獄での最期の対面の場面、マリー=ジョゼフの芝居が大劇場公演時と東京公演で全く変わったように感じられたのも興味深かった。大劇場では、たとえ真逆の価値観を持った者同士であっても「兄弟ゆえに」最後に解り合えたようにみえた。だから、普通に泣けた。

 ところが、東京公演では泣けなくなった。そこにあるのは、「たとえ兄弟でも」決して越えられない壁だけだった。弟は最期まで、兄を救うことはおろか、理解さえもできなかった。孤高の兄と向き合うとき、弟は自らの卑俗を省みるのだ。牢獄を出ていくマリー=ジョセフの歪んだ表情からは、この世ならぬ存在を見たかのような驚愕、そして絶望しか感じ取ることはできなかった。

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