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特集長崎へ テントでトップ

2013年11月28日

 

写真:優雅「ハウステンボス歌劇団」トップの優雅=長崎県佐世保市、伊藤菜々子撮影

 こだわりは右分けのリーゼント。客席にウインクを飛ばし、さっそうと舞台を駆け回る。男くさく、かっこよく。ひときわ目立つ男役こそ、ハウステンボス歌劇団(長崎県佐世保市)の“トップスター”優雅(ゆうが)。宝塚時代は研ルイスといった。

 団員31人の頂点。東京からもファンレターが届く。優雅に会うため1万7千円の年間パスポートを買うファンが後を絶たない。宝塚のスターと同様、ファンからたっぷり愛されている。違うのは、ここが長崎ということだ。

 ハウステンボスに歌劇団ができたのは今年7月。伝統ある宝塚歌劇の遺伝子を、またひとつ花咲かせようという果敢な挑戦だった。とはいえ、これまで華々しく生まれ、散った歌劇団があまたある。成功の鍵を握るのはスターの存在と確かな経営基盤だ。

 「優雅ならやってくれると思った。下のまとまりも強い」。歌劇団を立ち上げた坂本和子は言う。

 団員の募集では、宝塚やOSK日本歌劇団のOGにも声を掛けた。約30分のショーを1日3回。休演日はない。舞台は屋根だけの特設テント。夏はとにかく暑い。付けまつげはよれてはがれる。「助けあっているから、苦労という苦労はなかった」と優雅。

 もともと男役にあこがれていた。宝塚音楽学校を受験した1994年は、紫苑(しおん)ゆうや天海祐希が脚光を浴びていたころだった。平成の「ベルばら」ブームの影響で、入試は48.25倍という過去最高倍率。花組の蘭寿(らんじゅ)とむと雪組の壮一帆(そうかずほ)という2人の現トップスターは同期だ。

 黒燕尾(えんび)の似合う男役を16年追い求めた。しかし、燃え尽きた。2011年退団。男役は封印し、「研ルイス」ともさようなら。本名の「優雅」でシンガー・ソングライターになり、CDも出した。そこに舞い込んだ男役の話。戸惑いもあったが、一念発起。リーゼントの分け目を宝塚時代の左から右に変え、新たな一歩を踏み出した。

 忘れられない一言がある。宝塚の初舞台のとき、一番端っこで踊っていたら当時のトップスター久世星佳(せいか)の目にとまった。「あの隅で踊ってる子、頑張ってる」。人づてに聞いて胸が震えた。下級生にまで目を配る存在に、自分もなろうと決めた。

 今、歌劇団にパリ公演の話が浮上している。宝塚のトップのような羽根はないけれど、負けないくらい大きな期待と責任を背負っている。

 「今があるのは宝塚のおかげ。みんなが付いてくる存在にならないと。気合を入れてもっと自分を磨き抜きます」(谷辺晃子)

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