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特集(2)「何で晶一が最後に残ったんだろう?」と…

2013年12月6日

写真:福井晶一撮影・岩村美佳

――野球からミュージカルの世界に移るきっかけは何だったんでしょうか?

 小学校の卒業文集に「プロ野球選手か歌手になる」と書いているんです。歌うことも好きなんだけれど、野球も好きで、どっちも夢を持っていたんですよ。甲子園は高校までしか目指せないので、野球をやっていたんですが、高校3年生のときに負けて、さてどうしようかと。でも田舎にいたので、どうやったら歌の道に行けるのかわからなくて。別に自分で楽器をやっていたわけでもなく、ただ歌うことが好きだっただけなので。実は、姉が舞台全般大好きで、四季、宝塚、東宝、キャラメルボックス、新感線…全部WOWOWなどで見ていて、札幌にくるものはよく見に行っていたんです。そのときに最初にWOWOWで見たのが、音楽座「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」で、土居裕子さんにドハマリしてしまって、僕はもうこの道に行くと、舞台で歌を歌って人を感動させたいと思いました。

――次の夢に向われたんですね。

 そこからは迷いなく、まずは舞台芸術学院という専門学校に行くために東京に出ようと思いました。でも高校3年生のときに、軟式野球のお誘いを頂いていて、会社に内定が決まっていたんです。社会人野球ではないんですが、それでも軟式の世界では強くて全国大会に行くようなチームだったんです。ドラッグストアで販売の仕事だったんですけれど、1年だけ働いてお金を貯めて、それから東京に行こうと。朝4時に起きて、野球をして、働いていました。そのときは目標があったので一生懸命でしたね。

――舞台芸術学院を経て劇団四季に行かれたんですね?

 本当は音楽座を目指していたんですが、四季の方がオーディションが早くて、音楽座のオーディションを受ける前に、四季の合格通知が来たんです。じゃあ、1年間やって、それから音楽座に行こうかなと(笑)。自分のなかではそういう計画があったんですけれど、音楽座が一度解散してしまったんですよ。そうしたら逆に濱田(めぐみ)さんが四季に入ってきたんです。彼女は舞台芸術学院の1年先輩なんですけれど、四季に落ちて音楽座に行ったんですよね。そのときは「はまちゃんでも四季に受からないんだ…」と思いましたね。自分は四季に入って1年後に追いかけようと思ったら、逆に彼女が(四季に)入ってきたんですよね。

――そういうタイミングってわからないものですよね…。四季は最初研究生なんですよね?どんな生活をされていたんですか?

 四季に入る前に「CATS」は見て感動していたんですけれど、入りたいとは思わなかったんです。なので変な研究生でしたね。皆は四季の作品に出たいから、すごく一生懸命レッスンしながら東京でやっている作品を見に行って、劇団の中の資料や台本を読んだり…という感じだったんですけれど、僕は全然興味なかった(笑)。全然公演を見にも行かなかったし…(笑)。だから同期に「何で晶一が最後に残ったんだろう? 17年も」と未だに言われるんです。一番四季に居そうではなかったのにねと。

――何か目覚めたきっかけがあるんでしょうか?

 …ないですね(笑)。逆に、すごく意気込んで、思い詰めて入って来た人の方が、皆先にやめて行きましたね。僕はのらりくらりと(笑)。でも初舞台を踏ませて頂いて、それからひとつのきっかけとなったのは、「エビータ」という作品でアンサンブルで出ていたんですけれど、そのときにすごく悔しい思いをしたんです。「素人じゃないんだから、プロならばそのくらいやれ!」とすごく怒られたことがあって、ものすごく悔しくて頑張ったんですよね。そのときに頑張ったのはダンスだったんですけれど。そこからやる気が出たというか、そこで色んなことを学んで、歌も頑張ろうと思ったし、役を取りたいと思いました。その作品で小さいソロを頂いたんですね。それもオーディションがあって勝ち取ったものでしたし、そういう争いのなかで掴む欲が出て来たんです。そうしているうちに気づいたら17年経っていた…という感じですね。

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