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特集姉妹仲良く いつまでも

2013年12月6日

写真:大谷茂子(右)、加茂さくらスナックを経営する大谷茂子(右)と姉の加茂さくら=兵庫県尼崎市、伊藤菜々子撮影

 阪急塚口駅(兵庫県尼崎市)から徒歩5分、線路脇の住宅地に「路(みち)」というスナックがある。店のママは大谷茂子(74)。宝塚歌劇団の経験もあり、プロボウラーでもある。姉は「歌劇史上最高のプリマドンナ」と呼ばれた加茂さくら(76)だ。加茂は近所に暮らし、時折客として来店する。

 姉妹は宝塚ファンだった母の影響で1955年、59年にそれぞれ入団。きっちり型で稽古ざんまいの姉と、人生を楽しむ甘えん坊の妹。姉は入団3年目に大スター春日野八千代の相手役に起用され、後に雪組娘役トップに。妹は同じ雪組の「その他大勢」と自嘲するが、三枚目の娘役として人気があった。

 同じ組に入るのを嫌う姉妹は多いが、2人は違った。加茂が大谷のいた雪組を希望。東京公演時は寮の同室に住み、大谷が毎朝、加茂のスタミナをつけるためにステーキを焼き、野菜炒めを作った。「入団時、姉から『私は私。あんたはあんたやで』と釘を刺された」と大谷。加茂も「その人に合った役をやってこそ舞台人。妹もそれをわかっていた」と振り返る。

 大谷は、当時目新しかったボウリングに熱中。週5日も通い詰めた。早々に退団した翌69年、全日本ボウリング選手権大会女子個人総合で優勝。プロになった。母の手作りのスパンコールのユニホームで各地を回り、70年代のボウリングブームを先導した。

 加茂は71年の退団後も、東京で芸能活動を続けたが、97年、大谷が母と暮らす尼崎市の実家に戻った。大腸がんの手術をした母の介護のためだった。「芸能界を捨てることに未練はなかった。母と共に過ごすのが夢でしたから」

 姉妹の介護生活は10年に及んだ。母は94歳で亡くなり、今年で七回忌。「2人の娘をお嫁に行かせてあげられなくてごめんなさい」。死後、母のメモ書きが見つかった。姉妹は「『女は自立すべきだ』と、私たちが小学生の時から言い続けた母でした」と口をそろえる。

 今、加茂は自宅で約10人に声楽を教える。実家で暮らす大谷はボウリングイベントにゲストとして招かれると、3カ月前から練習に通う。今月22日には加茂のクリスマスコンサートが大阪であり、大谷が手伝う。宝塚時代も今も、思い思いの過ごし方をしながら、ほとんどずっと一緒だ。

 「2人とも最高の人生。姉とはつかず離れずがいい」と大谷が言うと、加茂はこう返した。「親しき仲にも礼儀あり。茂子もようやく分かってきたのね。いつまでも2人仲よくね」=敬称略(鈴木裕)=おわり

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