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ジャズストリート

新・ブルーノートRVGコレクション発売記念企画
ジャズ・ストリートの執筆陣が語る! 私のブルーノート RVGコレクション ジャズ史上、最高のレーベルといえば、やはり、ブルーノート。傑作、名作、そして最良のジャズの宝庫の中から、われらジャズ・ストリートの執筆陣が、極め付きの1枚をオススメする。RVGのリマスタリング・サウンドで、お楽しみ下さい。

ブルーノートがあえて発表したピアノ・トリオ盤

ごく少数の例外はあるものの、かねがね自分はピアノ・トリオとうまくやっていけない欠陥人間ではないかと思っていた。というのも、いわゆるピアノ・トリオの演奏は、出すべき結論を出そうとせず、ズルズルと先延ばしにするようなところがあり、その点がどうにも性に合わない。密かに思うに、この「結論を先延ばしにする感覚」こそ、日本人にピアノ・トリオが愛される所以ではないかと。
 それにピアノという楽器じたい、頼んでもいないのにケンカの仲裁役を買って出たがるふしが見受けられる。その証拠に、たとえば燃えさかるトランペットやサックスのあとにピアノのソロが出た瞬間、それまでの熱気やムードが下降線を描くことがしばしばある。つまりピアノ・トリオとは、ピアノとは、関西出身であるぼくのような人間にとって、生来、気が合わないようになっている。
 ホレス・パーラン『アス・スリー』は、そういう人間が「これはいい!」「こりゃあすごい!」というのだから、どれだけいいか、どこまですごいか、理解してもらえるのではないだろうか。そしてそして、ピアノ・トリオ盤が異常に少ないブルーノートがあえて発表したピアノ・トリオ盤という事実も重く受けとめていただきたい。
 ともあれ、通りすがりの人間(ぼくのことです)に1700円くれてやる勢いで、このCDを購入してください。ジャズの神に誓って、損は絶対にさせませんっ!

レトロな日本にジャズで出合える曲《ジンリキシャ》

モダン・ジャズ史上の位置づけについても、何も言うまい。
 第1曲目へ納められた《ブルー・ボッサ》の魅力についても、黙っていよう。そういうことは、いろいろな論客たちが語っている。
 ここでは、第5曲目の《ジンリキシャ》を紹介しておこう。マニアには周知の事実だが、ヘンダーソンは1950年代の日本を知っている。アメリカ軍の一員として派遣されていたのである。その時、町をゆく人力車を目撃した。事実、このころは、花街の芸者たちが往来を人力車で走っていたのである。
 そんな光景にそそられて、この曲は書かれている。その気になって聴いてしまうせいだろうか。私はこれを味わう度に、華やかな芸者の姿を思い浮かべてしまう。レトロな日本にジャズで出合える曲である。
 ケニー・ドーハムのライナーノートが「中国の荷車」と説明しているのも、実にいい。

マイナー・メロディが醸し出す黄昏に艶が増す

マクリーンの魅力は、ちょっとくすんだアルトの音色に乗ったマイナー・メロディが醸し出す黄昏感覚だ。プレスティッジ時代のアルバムが典型だろう。
 面白いのは、以後彼の音楽はマイナームードはそのままながら、少しずつ元気が良くなっていく。アルトの音色に張りがで、艶が乗ってくるのだ。レーベルで言えばブルーノート時代がそれに当る。このアルバムはそうした時期を代表する59年の作品。彼のほかにホーン奏者のいないワンホーンで、気持ちよく吹きまくっている。ハードバップの典型的名演と言ってよいだろう。
 選曲もよい。何度か取り上げている冒頭の《ホワッツ・ニュー》はじめ、アナログ時代のB面1曲目《アイ・ラヴ・ユー》など、明るく躍動感に満ちた演奏が並んでおり、マクリーンの1枚目に購入するアルバムとして責任を持ってオススメできる作品だ。

革新的で創造的な世界

50年代末にジャズ・シーンで頭角を現し、60年代初めにブッカー・リトルとのダブル・リーダー・グループで個性を輝かせたエリック・ドルフィー。その後チャールズ・ミンガスやジョン・コルトレーンとの共演を経て、64年にこのブルーノートでの初リーダー作を吹き込んだ。
 すでにハードバップの圏内から脱却していたドルフィーは、本作に至って初めて他に例のない音楽性を確立したのである。全曲自作によるコンセプト・アルバムは、当時の新主流派がそれぞれのオリジナリティをこのセッションのために注いだことによって、ドルフィーのキャリアにあって一際輝く1枚となった。
 リズムやソロ・オーダーに定型的要素を残しつつも、予定不調和の緊張感が貫く《ハット・アンド・ベアード》、自由奔放なフルートに酔う《ガゼロニ》等、どこか演奏に不安な影が落ちているのは、4ヵ月後の客死を暗示しているのかもしれない。最も革新的で創造的なドルフィーがここにいる。

それまでのジャズとは一味違う夏の爽快感

ダークラムをタンブラーに3分の1ほど。そこにクラブソーダを注ぎ、氷を2、3個入れ最後にカットライムを添えてミントをあしらいます。
 突然カクテルの話になるのも何ですが、ハンコックのこのアルバムを飲み物にたとえるとそんな感じだ。この作品が録音された64年当時、ハンコック〜カーター〜ウィリアムスの3人は、マイルス・バンドのリズム・セクションだった。彼らがジャズに新たに付け加えたものは、さわやかで知的な響きと、鋭角的に空間を切り取るリズムの鋭さ。ここでもそのさわやかさと鋭さは ライムとソーダのように聴き手の喉、いや耳を気持ちよく刺激し、ハバードのトランペットがダークラムのようなファンキーな味わいを醸し出す。
 初夏の風みたいに軽やかに疾走する《ワン・フィンガー・スナップ》と《オリロキュイ・バレー》、土くさい味わいの中に新鮮な響きが入り交じる《カンタループ・アイランド》、実験的だけど難解ではない野心作《ジ・エッグ 》と、どのトラックもそれまでのジャズとは一味違う爽快感があって、その響きは今聴いても新鮮さをまったく失っていない。
 ちなみにハンコックの次作『処女航海』は、ベースをホワイトラムに変えて、ライムの果汁を絞り込む、てなレシピかな。どちらも夏にぴったりの味わいであります。

ジャズの響きが燃え盛るサンデイ・ナイト

ロリンズ畢生の傑作に『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』という6曲入りアルバムがある。だがこの『コンプリート〜』、それとは別物と考えていただきたい。
 息つく間もない名演てんこ盛りの“本編”に対し、こちらには弛緩した部分もそのまま収録。ああロリンズも普通の人間だったのだ、と妙に安心させられる。
 ファンとのやりとりもノーカットだ。客席に子供(複数)がいるのであろう、「ほーら、ドンおじさんだよー」とおどけるロリンズ。“ドン”とは、当時の人気野球選手だったドン・ニューカムのこと。ロリンズは彼と瓜二つで、間違えられることもしばしばだった。
 女性ファンとの会話にも“人間・ロリンズ”が滲み出ている。ときにロリンズ27歳。音楽家も観客も若かったし、なにしろジャズそのものが若かった。録音が行われたのは11月3日(日曜日)。「笑点」も「サザエさん」も存在しないニューヨークでは、燃え盛るジャズの響きがサンデイ・ナイトを彩るのだった。

神童モーガンの野生派宣言

初録音が初リーダー作!の『インディード』から本作の直前まで、十月十日のあいだにモーガンは26ものセッションに参加し、神童ぶりを発揮する。ただ、ベニー・ゴルソンの後見が効いたリーダー作では「妙に大人びた」きらいもあった。ジョン・コルトレーンの『ブルー・トレイン』で熱情を噴出させたモーガンは、2週間後、本作の録音にのぞむ。
 お膳立てに思惑がうかがえる。編成を3作続いた3管から最初期の2管に戻し、新たな刺激剤としてペッパー・アダムスとボビー・ティモンズを迎え、初めて自作を用意した。 狙いは「いてまえ!」だ。最初に録られた《ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス》から快調に飛ばし、たぎる血潮が《チュニジアの夜》を真っ赤に染める。ナタの切れ味を見せるアダムスと、ブルージーに濡れるクラークは優秀助演賞ものだ。《ニュー・マ》と《ヘヴィー・ディッパー》を書いたセンスもあなどれない。新生モーガンここにありだ。

ゆったりとレイドバックした感じで踊りたい

このアルバムは、いったん他レーベル(アーゴ)に移籍したルー・ドナルドソンがふたたびブルーノートに戻ってきた1967年に吹き込まれたものです。
 アーゴに移っている間に「ソウル・ジャズ」のスタイルに変わっていた彼は、このアルバムでもそれを踏襲し、サイドメンをR&Bやラテン・ソウル、ソウル・ジャズのバックグラウンドを持つミュージシャンで固めています。
 旧来のジャズ・ファンの中には眉をひそめる向きもあったと聞きますが、アルバムは大ヒットし、タイトル曲は(正確にはブーガルーのリズムではなくむしろファンクなのですが)ビルボードのポップス・ヒットチャートで100位以内に入るという快挙をなしとげました。
 このアルバム、オルガン入りのソウル・ジャズであること、アルバム・タイトルや曲名に「アリゲーター」だの「ブーガルー」だの「オー、シャックス!」(=「ああ、くそ!」の南部アフリカン・アメリカン訛り)などというフレーズが入っているため、かなり濃ゆくむんむんとした音を連想するかも知れませんが、実際の音はむしろ軽く爽やかな印象を受けます。
 もちろん音遣いはとてもブルージーなのですが、ルー・ドナルドソンはぶりぶり吹きまくる、いわゆるホンカーではないし、音色も明るく軽やかです。ジョージ・ベンソンのプレイもきわめてスマート。そんな中ではオルガンの音も逆にクールに聴こえてきます。
 汗かいて踊るというよりは、ゆったりとレイドバックした感じで踊るのにはとても良いアルバムではないでしょうか。
 それにしても、ブルーノート1500番台と言えばゴリゴリのハードバップという印象がとても強いのですが、そんな中にこういうソウル・ジャズが何食わぬ顔をして入っているあたり、ブルーノートというレーベルの懐の深さを感じさせます。

 

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