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米軍によるオサマ・ビンラディンの殺害から5月1日で1年を迎える。昨年の殺害時は、エジプトやチュニジアで強権体制が崩れ、さらにリビアやイエメン、バーレーンでも「アラブの春」と呼ばれる強権に対する民衆デモが起こっていた時と重なっていた。人々の非暴力のデモによって敗北したのは、強権体制だけではなく、テロと暴力によって中東の強権体制を倒そうとしたアルカイダも同じだ、という見方が出た。ただし、ビンラディンの死後、アラブ世界で起きたことを見るとき、アラブの春によってアルカイダの時代は終わったとか、民衆のアルカイダ離れという見方には、大きな修正が必要である。
■武装化した「アラブの春」
一つには、ビンラディンの死後に状況が大きく動いたリビアが血みどろの内戦となり、非暴力の「アラブの春」という前提が大きく揺らいだことだ。NATO軍の支援を受けながらではあったが、現地からのテレビの映像を見ると、カダフィ支持派と戦った反体制派の若者たちの中に、あごひげを伸ばしたイスラム厳格派が目立っていた。
カダフィ体制を倒すために多くの若者が非暴力のデモに繰り出したが、それが内戦となれば、戦闘経験のない若者が銃を持って、翌日から戦えるというわけではない。国軍からの寝返り組以外で、反体制派の戦闘員になれる人材といえば、イラクやアフガニスタンで、軍事訓練を受け、米軍との戦闘経験があるアルカイダ系のイスラム厳格派の若者たちである。
私が昨年6月にイラクに入り、イラク国内で拘束したアルカイダ戦闘員の尋問に関わっているイラク軍情報部の関係者に話を聞いた時、・・・・・続きを読む
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