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宝塚プレシャス

宝塚コラム

由美子へ・取材ノート

「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)。しかしその人生は御巣鷹の日航機墜落事故で幕を閉じた。若くして逝った1人の女優の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション

  第1章 見果てぬ夢(2007.3.27)

第1章 見果てぬ夢

「宝塚随一の美女」と久米宏に紹介されたことがあった。1984年3月のことである。ニュースステーションが始まる前で、久米宏が若手アナとしてブレイクしはじめた時期だった。そのときどきの話題の人物たちをゲストで招いて軽妙なトークを繰り広げる「おしゃれ」という番組に、宝塚を代表する美しい娘役スターとして、北原遥子が登場したのだ。 続きを見る


  第2章 誕生と家族(2007.4.3)

第2章	誕生と家族

北原遥子、本名吉田由美子。吉田俊三・公子夫妻の長女として、1961年4月23日に名古屋で生まれる。誕生時の体重は当時の女児としては標準的な2850グラム。3歳4ヶ月年上に兄雅彦がいて、2人兄妹として育つ。後年、周囲が「ガラス細工のように透き通る美しさ」と証言するような際立った美は、幼児期の写真や、母が語る記憶のなかには、まだ見あたらない。 続きを見る


  第3章 体操する少女(2007.4.10)

第3章 体操する少女

第3章では、体操に夢中になった吉田由美子(芸名・北原遥子)の小中学生時代を描く。父親の転勤で大阪から東京へ引越した由美子は、近くの池上スポーツクラブに通い始める。昭和40年代半ばのこの時期は東京五輪の記憶も新しく、体操への国民的熱気は盛り上がっていた。熱心で真面目な由美子はどんどん上達し、全国大会へも出場するようになった。しかし…。 続きを見る


  第4章 宝塚との出あい(2007.4.17)

由美子へ4:平沼高校1年の体操競技会

第4章では、由美子と宝塚との出あいから音楽学校に合格するまでを描く。怪我や体格のこともあって、体操から遠ざかりつつあった由美子が夢中になったのは、当時『ベルばら』で爆発的な人気となっていた宝塚歌劇だった。最初は夢にすぎなかった「宝塚に入りたい」という願いが、やがてある芸能プロダクションのスカウト「事件」により、現実のものとなっていく。 続きを見る


  第5章 宝塚音楽学校(2007.4.24)

由美子へ第5章

第5章では、宝塚音楽学校の2年間を描く。由美子たち67期生には、のちに男役でトップになった涼風真世、真矢みき、娘役トップになった黒木瞳や毬藻えりを始めとする優秀な人材が数多くそろっていた。中で、音楽学校時代からスター候補と言われた2人―由美子とショーコこと黒木瞳は特別な親しさで結ばれていた。厳しい2年間を終え、由美子たちは卒業、晴れの初舞台を迎えることになる。 続きを見る


  第6章 娘役北原遥子(2007.5.2)

第6章娘役北原遥子

第6章では、音楽学校を卒業した由美子が、宝塚の初舞台を踏んでまもなく新進娘役として注目を集めるようになるまでを描く。北原遥子という芸名を名乗り、初舞台のラインダンスでソロを務めるという晴れがましいデビューを飾った由美子は、最初は男役でのスタートだった。しかし配属された雪組で、はや2作目で準ヒロイン役に抜擢され、娘役へと転向することになる。 続きを見る


  第7章−1 舞台1981〜1982(2007.5.8)

『暁のロンバルディア』稽古場

 第7章では入団2年目までの北原遥子の舞台活動を描く。 『暁のロンバルディア』での抜擢によって、本公演でも北原遥子は、次々に大役や新人公演のヒロインがまわってくるようになった。その後、退団まで出演した舞台の軌跡を、歌劇誌や宝塚グラフ誌に掲載された記事や批評、そして当時を知る人のコメントとともに追っていこう。 続きを見る


  第7章−2 舞台裏(2007.5.15)

『ブルー・ジャスミン』で小乙女幸と

宝塚入団2年目で、次々と大役に抜擢される北原遥子(本名・吉田由美子)。彼女の舞台人生は順風満帆に思えたが、本人のプレッシャーと周囲の期待に応えようとする努力は並大抵のものではなかった。同室の後輩や友人の証言で、吉田由美子のプライベートを綴る第7章(承前)。 続きを見る


  第8章−1 舞台1983〜1984(2007.5.22)

由美子へ8章

第8章では入団3年〜退団までの北原遥子(本名・吉田由美子)の舞台活動を描く。この頃、由美子が新人公演で、その役をやらせてもらうことが多かった雪組トップ娘役の遥くららは、同じ横浜出身ということもあり、由美子を妹のように可愛がっていた。遥はこう語っている。 続きを見る


  第8章−2 杜けあきインタビュー 屋上の思い出(2007.5.29)

由美子へ8章−2

元雪組男役トップスターで、現在は女優として活躍している杜けあき。北原遥子(本名・吉田由美子)は、2年上の杜の相手役を務めることが多かった。杜は当時を「まるで青春ドラマみたいだった」と語る。 続きを見る


  第9章 メディアへの露出(2007.6.5)

第9章メディアへの露出

北原遥子(本名・吉田由美子)は、宝塚のなかでも外部の仕事が多い生徒だった。70年代に『ベルばら』で社会現象となった宝塚は、80年代には、さまざまなメディアと連携して、スターたちを進出させはじめる。とくに、現代的なセンスと個性で新しいスター像を作った大地真央の存在が追い風となって、宝塚歌劇と各メディアとの距離は一気に縮まっていた。 続きを見る


  第10章−劇団を去る日(2007.6.12)

由美子へ取材ノート10章

無断テレビ出演事件は、前年の9月にさかのぼる。後日、母が娘から聞いた事実関係はこうである。「その頃、知人を通して知り合いになったあるプロダクションの女性プロデューサーから、テレビドラマのカメラ・テストを受けてみないかと言われ、由美子は、あまり深く考えず出かけて行ったそうです」 続きを見る


  第11章 女優への助走(2007.6.19)

夏目雅子とニューヨークで

宝塚を退団した北原遥子(本名・吉田由美子)は、不思議な縁から、当時の人気NO.1女優、夏目雅子が所属していた其田プロダクションに入ることになった。その年、親友の黒木瞳や大地真央、そして夏目と過ごしたニューヨークでのひと時を、由美子は心から楽しんだ。そして、女優として再出発することになる。 続きを見る


  第12章 女優修業(2007.6.26)

由美子12章

女優としての北原遥子(本名・吉田由美子)の第一作は、東宝東和配給の『ザ・オーディション』、映画初出演である。当時の人気アイドルグループ・セイントフォーの4人の少女と、人気ロッカー世良公則が主演する、アイドルのデビュー物語で、監督は新城卓。『オキナワの少年』で、批評家や映画ファンに一躍注目されたところだった。 続きを見る


  第13章 夢への一歩(2007.7.3)

由美子へ13章

其田事務所は、『カサノバ'85』の舞台が終わった時点で、北原遥子(本名・吉田由美子)の次の仕事をすでに考えていた。市川森一脚本のドラマで、その年の11月に単発で放送される東芝日曜劇場の1500回記念ドラマ、『星の旅人たち』の主役である。市川森一は、『黄金の日々』をはじめとする夏目雅子のテレビドラマをたくさん手がけたヒットメイカーであり、女優夏目雅子の育ての親の1人でもある。その市川にとっても、由美子は短い出会いながら、強烈な印象を残している。 続きを見る


  第14章 別れの夏(2007.7.10)

由美子へ14章

兄にとって、由美子との最後の日は8月5日だった。「黒のボートネックの服を着て、買ったばかりの車を運転して来て、僕を乗せてくれた。そのあと渋谷で夕飯食べて別れたんです。髪が長かったせいか、妹ながら綺麗だなあと。24歳になってましたから、だいぶ大人びてきて、これから男もできるだろうなと、ちょっと寂しい気もしました」 続きを見る


  第15章 日航123便(2007.7.17)

由美子へ15章

1985年8月12日、月曜日、夕刻。羽田発大阪行き日航123便ボーイング747型機は、定刻より12分遅れて6時12分に羽田を出発した。乗客509人と乗員15人、全部で524名を乗せていた。吉田由美子のシートナンバーは29D、通路側の席である。747型ジャンボ機は2階建てで、歌手の坂本九は2階席の64H、由美子のそばの31列ABCには、三代目伊勢ケ浜親方(元大関清国)の妻子がいた。この事故で奇跡の生存者として救出された人たちが4名いたが、それぞれ最後尾に近い50列あたりの席に座っていた。 続きを見る


  第16章 遭難(2007.7.24)

由美子16章

実家では母が、最初に由美子の遭難の報せを聞いた。事故のニュースがテレビに出はじめた午後8時前後に、伊丹空港に迎えに出ていたという知人から電話が入った。「事故機に乗っていたはずです」と告げられた。 続きを見る


  第17章 由美子その死(2007.7.31)

由美子へ17章

13日から遺体の確認作業は始まっていたが、由美子の生死はなかなか判明しなかった。体育館には遭難機の座席表が張り出されていて、遺体が見つかるとその座席が塗りつぶされていく。キャンセル待ちで乗った由美子の座席ナンバーは、予約者名簿には書かれていない。どこに座っていたのかもわからないまま、一家は座席表を前に焦燥感をかみしめる日々が続いた。 続きを見る


  第18章 遺したもの(2007.8.7)

由美子へ18章

由美子の遺品を引き取るために、母は何度か群馬県前橋の県警まで足を運んだ。「靴はとうとう見つかりませんでした。たぶん不時着にそなえて脱いでいたのでしょう。それからバッグもなかった。気に入っていつも使っていた白い大きなバッグが、部屋を探してみたらなかったので、それを持っていったのだと思います。おそらく焼けてしまったのでしょう、中身は出てきたのですが。…」 続きを見る


  第19章−1 レクイエム 1(2007.8.14)

由美子へ19章−1

麻実れい「…彼女のことで思い出すのは、美しさとともに、なぜかさみしそうに見えたこと。……」遥くらら「…彼女の中の無念さを、ときどき考えます。あんなに張り切って新しい仕事に向き合っていたのに、突然自分の意志でなく終わりにしなければいけなかった。……」杜けあき「…時々むしょうに思い出すときがあるんですよ。そういうときは、会いたくなって来てくれているのかなと思ったり…。……」 続きを見る


  第19章−2 レクイエム 2(2007.8.14)

由美子へ19章−2

港区三田の玉鳳寺。由美子が眠る寺である。入り口に地蔵堂を持つこぢんまりとした寺で、入り口の地蔵尊は「化粧地蔵」。俗に「おしろい地蔵さん」と呼ばれていて、顔のアザや傷を治すと言われている。この寺に吉田家が墓所を持つことになったのは、先代の住職が、桐ヶ谷斎場で行われた通夜と葬儀の際に読経をあげてくれた僧侶のひとりだったことによるものだが、美しかった由美子が、容貌にまつわる悩みを救う寺に葬られているというのも、不思議な因縁という気がする。 続きを見る


  終章 御巣鷹の尾根(2007.8.21)

由美子へ20章

2007年8月12日、23回忌の夏はひときわ暑かった。東京も暑い夏だったが、群馬県上野村もかつてない猛暑のなかにあった。11日は灯籠(とうろう)流しの宵である。日中は油照りの暑さで、陽が落ちても、なかなか涼しさが戻ってこなかった。夕方から始まった神流川の河原での灯籠流しのセレモニーも、例年になく川風も止まったような蒸し暑さのなかで行われた。 続きを見る


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