マイコンテンツ

宝塚プレシャス

男役の変貌〜荻田浩一論

はじめに

天野道映

 私が初めて荻田浩一に会ったのは、人違いがきっかけだった。

 彼は1993年、大阪大学文学部日本学科(文化人類学・民俗学専攻)3年に在学中、宝塚歌劇団の演出助手採用試験に合格し、1年間嘱託(アルバイト)として働いた後、1994年、大学卒業を待って正式に入団した。

 「3年だから歌劇団を受けたのです。4年生だったら、多分研究者の道を選んでいた」

 彼は後にこう語ってくれたが、この言葉は、演出家として独自の作品を次々に発表するようになった時、納得のいくものになった。

 ある時――嘱託期間はもう過ぎていたと思うが、まだ演出家としてデビューする以前のことである――私は歌劇団の事務所で、1人の青年に背後から「藤井さん」と呼びかけた。藤井大介は彼より2年先輩に当たる当時やはりまだ若手の演出助手である。するとその人は振り向いて、穏やかに答えた。

 「僕は荻田といいます。藤井先生とはよく間違えられるのです」

 この挿話を朝日新聞の同僚、今村修記者に打ち明けると、彼は言下に断定した。

 「藤井大介と荻田浩一は全然似てないじゃないですか。2人を間違える人なんてほかにいませんよ。荻田さんは天野さんの失敗をとっさに救ってくれたのだと思う」

 その心優しい青年が1997年9月、星組湖月わたるの日本青年館初主演作『夜明けの天使たち』で演出家デビューした時の戦慄を忘れることができない。この作品は翌年1月、同じ星組彩輝直のバウホール初主演作として、ただちに続編が作られた。こちらは同じ題名に「悲しみの銃弾」というサブタイトルが添えられている。

 作品の独創性。構成の見事さ。底に秘めた悪魔的なまでの美しさ。演出の冴え。さらに生徒の芸風の生かし方。どの点を取ってみても天才的である。とても新人演出家の第1作とは思われない。彼は1971年3月3日大阪府箕面市の生まれで、この時26歳だった。

 歌劇団のプレスリリースは記している。

 「入団3年半、26歳でのデビューは、1カ月半公演体制以降では超スピード最年少デビューである」

 宝塚大劇場が、1カ月公演(年12回)から1カ月半公演(年8回)に変わったのは、1975年3〜5月の月組公演からだった。


 演出家の人柄の優しさと作品の並外れた美しさ。この落差が不思議である。もっとも、才能と人柄は本来別の事柄に属する。天才と狂気は紙一重などといわれたりするが、それはたまたまそういうケースもあるという話に過ぎない。

 もっとも、孤独な創作をする詩人と違い、共同作業を基本にする演劇人にとっては、人柄の魅力は大きな武器になる。

 『夜明けの天使たち』2部作は高橋城の珠玉の名曲でつづられていた。そこにベテラン音楽家が、心優しい若者のデビューに寄せる気持ちを汲み取ることができる。

 大橋泰弘の装置も冴えていた。2部作は娯楽性と同時に、現代の小劇場と共通する新しさを持っている。時と所が自由に交錯するのである。ちょうど人間の意識の流れが、目の前の出来事を追う一方で、不意に別の時と所の断片を頭の中のスクリーンに映し出すように――。装置はこうした心的機構を巧みに処理できるようになっていた。作品に対する深い理解と共感がなくてはできない仕事である。


 この才能ある若い演出家が、2008年10〜11月の東京宝塚劇場雪組公演『ソロモンの指輪』を最後の作品として、宝塚歌劇団を退団した。歌劇団との間に気まずいことがあったという話はまったく聞かない。アサヒ・コム プレミアムに掲載されたインタビュー(2009年2月5日)を読むと、彼の方で自分の作風が必ずしも宝塚向きではないことを考えて、身を退いたかのようである。ことに『夜明けの天使たち』2部作のうちの続編「悲しみの銃弾」が、彼の中で尾を引いているように見受けられる。

 湖月わたる主演の正編の方は、歌劇団のプレスリリースに「1984年の『オクラホマ!』以来13年ぶりの本格的ウェスタン」と記されていて、この言葉では言いつくせないものの、確かにウェスタンらしい劇的展開があった。彩輝直主演の続編になると、視点は主人公の内面に深く分け入るので、娯楽性がそれだけ薄くなったことは否めない。しかし彩輝扮する心優しい殺人鬼ジョシュアの魅力は圧倒的だった。この作品が彼女のイメージを決定づけたとさえいってよい。作品は作者の反映である。悲しみを秘めて荒野をさまようジョシュアは荻田浩一その人を思わせる。

 彼は一方で、2001年の『SANCTUARY〜旋回する夜の情景』(ベニサン・ピット)以来、宝塚を退団するまでに22本の作品を外部で発表している(外部の制作者たちとの間にも良い関係が築かれていた)。

 これらの仕事から察すると、歌劇団の枠を離れて、思うまま舞台に立ち向かおうとする意図と手応えを、かねて持っていたこともまた推測に難くない。


 この人の作品は底が深い。あたかも山の中の湖が、水面は奇麗な景色を宿していて、水底にふと何か、不思議な緋鯉のようなものの影をかいま見せるのに似ている。そもそも『夜明けの天使たち』とは何か。早起きの天使なのか。そうではない。堕天使のことである。堕天使とは悪魔か。それは正統キリスト教の教えである。ここでは人間を指し、キリスト教の異端グノーシス主義の思想に基づいている。

 荻田浩一の作品を文化人類学、グノーシス主義そのほか数々のキーワードによって読み解いていくのが、私のこころみである。これらのキーワードは外部の作品についても当てはめることができる。

 彼の退団後の初仕事は、2009年3月の『渋谷アリス』(シアターコクーン)だった。これは1時間50分の自由奔放なショー作品で、こういう舞台は、現代演劇では他に例を見ない。と同時に、その面白さは2001年雪組の『パッサージュ―硝子の空の記憶―』を思い出させずにはおかなかった。演出家はそこではパリ、ここでは渋谷という想像力の迷路をたどっていく。従って『パッサージュ』を読み解くキーワードを、『渋谷アリス』に適用することができるであろう。キーワードは個々の作品を越えて存在している。

 しかし今は、対象を宝塚時代の作品に限ることにした。演出家がそのユニークな仕事を通じて、宝塚の男役にどのような変貌をもたらしたかを探るのが、当面の課題だからである。


 この人の男役は基本的にいって謙虚である。その点で正塚晴彦の後継者といってよい。彼らの男役のこの性格は、正塚晴彦の場合「自己否定」の思想を基にしていた(『男役の行方』)。荻田浩一の場合どういうところから出てくるのであろうか。

 宝塚時代の作品を表にしてかかげておく。

荻田浩一作品
クリックすると表を拡大して表示

(2009.05.22)

バックナンバー

「男役の変貌〜荻田浩一論」について

 独特の美と世界観を持つ作品で、観客を魅了してきた宝塚異色の作家・荻田浩一。08年秋にフリーの演出家として独立した荻田の、宝塚時代の作品を通して、宝塚の男役がどのような変貌を遂げたかを探る。


このページのトップに戻る