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宝塚プレシャス

由美子へ・取材ノート

第12章 女優修業

(2007.6.26)
 帰国すると、映画『ザ・オーディション』の撮影が待っていました。世良公則さんが主演する、アイドルのデビュー物語ですが、新城卓監督は、批評家や映画ファンから高い評価を受けている若手です。北原遥子にとって、初出演の映画として、恵まれていたと思います。  …

(「由美子へ」第2章・女優へ)

  『ザ・オーディション』

1984年
8月 映画「ザ・オーディション」撮影に参加。
10月 其田事務所に所属。
11月 「ザ・オーディション」公開。
1985年
1月 亀田製菓と1年間のCM出演契約。
2月 DeBeers(宝石メーカー)と1年間のCM出演契約。
5月 ミュージカル『カサノバ '85』(西武劇場、現パルコ劇場)にヒロイン役で出演。

 女優としての由美子の第一作は、84年公開の東宝東和配給『ザ・オーディション』、映画初出演である。当時の人気アイドルグループ・セイントフォーの4人の少女と、人気ロッカー世良公則が主演する、アイドルのデビュー物語で、監督は新城卓。前年の『オキナワの少年』で、批評家や映画ファンに一躍注目されたところだった。

 「この映画のオファーが来たときは“僕がなんでセイントフォーを?”と思ったんですが、『オキナワの少年』で、シロウトの使い方がうまいと思われたんでしょうね(笑)。
 北原遥子の印象は、年の割に落ち着いているなと思いました。セイントフォーを鍛えるインストラクターの役で、マット運動をしてみせたり、劇場で指導したり、出番はわりと多かったと思います。綺麗な人でしたが、イントネーションに難があった。いわゆる宝塚的なセリフというか、言う前に構えてしまうんですよね。それがなかなか直らなかった。でも、素直でしたし熱心で、僕のうるさい注文に、がんばってついてきました。それに、出番がなくても、セイントフォーにつけている芝居をずっと見ている。非常に貪欲でした。

 一度、彼女のほうから、「女優になるには何が必要ですか?」みたいなことを聞いてきました。僕から見たら、いいお嬢さんで綺麗だけど、欠点のないのが欠点だなと思っていた。だから、すごく激しい言い方で、「カマキリのメスになれ」とか、「ボロボロになるような恋愛を沢山しろ」だとか、「それに打ち克っていく強さとしたたかさが一番必要だ」とか話したんですが、真っ正面からそういう話を受け止めていました。その態度を見て、役者を真剣にやろうと思っているんだな、という感じがしましたね。本来は性格の激しさとか、内に秘めた熱なども持っていたのかもしれない。でも、それがうまく表に出てきてなかったし、そういう意味では、まだ女優にはなっていなかったと思います」 

85年3月『カサノヴァ’85』の制作発表

 由美子の現場の担当マネージャーには内藤陽子がついていた。其田事務所の女性マネージャーとして、ほとんどの女優は内藤が面倒をみていた。

 「初めての映画ということより、この映画でマット運動をしなくてはいけないということが、思ったより北原にプレッシャーを与えていたようでした。こちらは彼女の体操経験からいっても、気軽に簡単に出来ると考えていたんですが、うまく出来ないと泣いたりして。宝塚時代の5年のブランクは思ったより大きかったみたいです」

 撮影所がある東京・世田谷区の砧(きぬた)に行くために、由美子は隣接する調布市にある叔母・樋口俊子の家を拠点にし、そこから中央線・武蔵境駅そばのスポーツジムにも通いはじめた。ある日ネンザをして帰ってきた由美子に叔母は動転した。

 「心配で心配で、私は姉と違って、体操とか競技の世界をまったく知らない素人ですから、まず実家に戻して安静にさせなくてはと思って、“平気だから。明日も練習に行く”と言う由美子を、むりやり横浜に帰してしまったんです。近所のバス停まで少し距離があるので、長男の武弘に、“由美ちゃんを、バス停まで自転車に乗せて送っていって”と大事をとって送らせたくらいおおごとに考えていた。ところが、次の日に由美子は戻ってきてしまったんです。治ったからといって、またジムに出かけていくんですよ」

 実家では、ふらっと帰宅した娘を、普段通りに母は迎えた。

 「ネンザのことなんか知りませんでした。俊子の勢いに負けて、仕方なく帰ってきたのでしょうね(笑)。でも、あの子にとって怪我と付き合いながら練習するのは、昔から当たり前のことでしたから」

  『カサノバ '85』

 映画撮影が終わった翌年は、亀田製菓とダイアモンド、デビアスのコマーシャル撮影。内藤の記憶では、両方とも事務所の売り込みではなく、代理店側からのオファーだった。

 「宝塚時代にいくつかの広告モデルをしていたことで、そちらのほうの知名度はあったと思います。
 ダイアモンドのデビアスのCMは、2バージョン撮って、事故の直前に2バージョン目が流れ始めたばかりでした。クライアントはアメリカが本社で、事故を知ってからも中止する必要はないと言ってくれました。でも、やはり日本の感覚では、放送しにくかったのでしょうね、中止になりました。デビアスの北原は本当に美しかったと思いますし、本人もCMの仕事には慣れていて自信があったから、いい顔で撮られていました」

 5月の舞台出演が迫ってくると、由美子は、いよいよ東京で1人住まいをするための部屋探しを始めることになった。

 「気に入ったところがあると、“お母さん、見に来て”と言ってくるので、一緒に何軒か下見に行きました。娘は、渋谷がいいとか南青山がいいとか、希望を言っていましたが、なかなか条件が合わず、結局、東急東横線の祐天寺駅に近い目黒区五本木の1DKに決めました。
 契約するとき、職業が女優だと言ったら断られたんですよ。でも宝塚にいたことを話したら、すぐ承諾していただいて。近々西武劇場に出るということも話したら、切符を取ってくださいとさっそく頼まれました(笑)」

宝塚時代には叶わなかった念願の1人暮らしを、五本木のその部屋で由美子は始める。前から取りたかった車の免許、遥くららに紹介された声楽のレッスン、日舞の稽古と、女優への意欲に溢れる日々だった。由美子の3ヵ月後に退団し、女優として活躍を始めた遥くららとも、再び交流が盛んになった。

 「由美ちゃんがいきなり“アクセサリーをどうしましょう”と言ってきたのは、『カサノバ'85』の稽古中だったと思います。私のもので使えるものがあれば、と2人で大騒ぎしながら探したり、アドバイスしてあげたり。でも舞台の方は、私はちょうどテレビ収録にかかりきりで、観ることができなくて。本当に残念でした」

 舞台の仕事は、1年2カ月ぶりだった。『カサノバ'85』は、同じ事務所の石立鉄男が主演するミュージカルで、由美子はカサノバの最愛の女性アンリエッタと、彼女に生き写しの現代の女性ヘンリエッタの2役。そしてこのときもまた、由美子の最大の難関は歌だった。マネージャーの内藤も、歌で苦闘する由美子を見ている。

 「北原本人は、宝塚にいる間に少しは歌えるようになったと思っていたはずなんです。でも、ダメだ下手だと言われて、自信をまた失ってしまった。でも、本当は宝塚の歌い方とは違うものを要求されていただけで、そんなに悩まなくてよかったんですよ。石立鉄男さんなんて、けっこういいかげんでしたから(笑)。“アレでいいのよ、堂々とやればいいの”と言ったりしたんです。綺麗な歌だけがいい歌ではない、多少音がはずれても感動させるものをめざせという意味だったのに、もう1つ彼女には理解できなかった。
 やはり体操という、点数で評価される世界で生きてきたからでしょうね。“ごまかす”ということととは無縁で、そこが彼女の良さでもあり、また女優としては苦しいところだったと思います。
 『完璧をめざして努力している私に、内藤さんは何を言っているんだろう?』と思ったかもしれない」

 それでも舞台の幕は開く。初日は5月2日、5月22日まで全25ステージという、西武劇場(現PARCO劇場)での興行が始まった。内藤はこの舞台を振り返り、ある意味で大きな成果があったと評価する。

 「北原は未熟でしたし、作品としてもすごくいい出来とは言えなかった。でもだんだん北原が女優の顔になっていったんですよ。それは、作・演出の福田陽一郎さんが、彼女をこの舞台のヒロインとしてすごく愛してくれた。だから、どんなにダメ出しをされたり、注意されたりしても素直でいられた。
 福田さんだけでなく、恋人役の川崎麻世さんも、面倒をよくみてくれました。彼女は、男性の父性愛をくすぐるところがあって、放っておけない気持ちにさせてしまう。お父様に可愛がられたからでしょうね」

 宝塚を退団したあともファンとして由美子を見続けていた三木尚子も、由美子の内面の充実を、ひそかに感じ取っていた。

 「楽屋から出てくる顔が、毎日いい顔なんです。宝塚時代は、周りに気を使って緊張している顔ばかり見ていました。
 それと由美ちゃんの私服って、地味というか、グレイの上下にカーキ色のコートとかそういう色が好きで、派手さはないけれど品がいいという感じの着こなしが多かったんです。それがこの公演中に一度、桜色のワンピースを着てきたことがあって。その時、ああ、本当はこんなにきれいな色もよく似合うんだ!と思いました。何かが由美ちゃんの中で変わりつつある、そんな兆しを感じていました」

【由美子から福田聡への手紙 1984年8月3日】

残暑お見舞い申し上げます
暑中お見舞いどうもありがとう。
奥サマ業もすっかり板について…ママには、もうそろそろかしら?
私は相変わらず子供のまま!やりたいことやってマス。「女優になる」と宝塚を退団して、今度、映画出演が決まりました。今度こそ(!?)観に来てね!ゆみこ

【由美子から小乙女幸への手紙 1984年10月15日】

 秋桜の花も色とりどりに咲ききそう好時節、皆んな、元気で頑張ってますか?
日本物と洋物の組み合わせ、短時間のお化粧がえで四苦八苦しているんじゃないかしら?
 先日、新聞でターコ(麻実れい)さんの退団を知りました。なんだか淋しくなりますねぇ…。
But、みんなは頑張ってよネ! モチロン観に行くからサ、これからも。

 近況報告─遅れちゃったけど。
今、私は映画に出演しています。東宝洋画系11月封切“ザ・オーディション”という映画。残念ながら(?)主演でもなければ大作でもないけれど、ま、特技を生かして(!?)、頑張ってるからヨロシクね!

 お江戸では帝劇で「桜の園」の上演中。
モック(遥くらら)さん、会いたさ観たさに、初日に観てきました。すっごくよかったモックさん、宝塚卒業ってカンジでひたすら尊敬!ですね。ホントに。
 雪組っ子が公演と重なって観に来られないことは、残念デス。(その分? 私は雪組代表で、こまめに応援に行ってますからね)

 22日に同期会をやると聞きました。
私も今後、順調にやってゆけそうです…ありがとネ。そして、これからもよろしくね。
 22日、運良く仕事がはいらず、みんなに会えるとイイけど…。

 急に涼しくなってきて、カゼなどひかないように気をつけて下さいネ。19日の新公もガンバって下さい!
 では又会えるときを楽しみに…!
  ─1984.10.15─
ふっちゃん、りんご、きえ、さかこ、あいちゃん(順不同ですが…)へ
        ゆみこより
PS 私も免許とったよ! るんるんでしょ?

【由美子から北村美保への手紙 1985年4月14日】

花も木もつぼみがふくらみ快い季節になりました。いかがお過ごしでしょうか。
さてこの春、私の2度目の初舞台が決まりましたのでお知らせいたします。
 西武劇場5月公演、福田陽一郎作・演出のオリジナル ミュージカル“カサノヴァ'85”に出演することになりました。
宝塚を退団し、やっと歩き始めたばかりで、このような機会に恵まれ本当に幸せです。
まだ未熟な私ですが、御期待にそえるようがんばりたいと思います。
 公演のちらしを同封いたしましたが、どうぞみなさまお誘い合わせの上、御覧いただけますようお願い申し上げます。
北原遥子

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「由美子へ・取材ノート」について

 「宝塚随一の美女」と称された。同期の黒木瞳と共に注目を集め、退団後は夏目雅子に続く美人女優としてデビュー。しかし御巣鷹の日航機墜落事故が彼女の人生を奪った――。これは、若くして逝った1人の女優北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづった記録である。


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