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宝塚プレシャス

由美子へ・取材ノート

第13章 夢への一歩

(2007.7.3)
 こんな北原遥子に、其田さんは次の仕事を用意してくださいました。新人女優にはもったいないような、市川森一さん脚本のドラマで、東芝日曜劇場1500回記念として、その年の秋に単発で放送されるTBSドラマ『星の旅人たち』の主役に選ばれたのです。  …

(「由美子へ」第2章・ひとり暮らし)
1984年
4月30日 宝塚歌劇団退団。
7月 渡米。夏目雅子とともにNYに滞在。
8月 映画「ザ・オーディション」撮影に参加。
10月 其田事務所に所属。
11月 「ザ・オーディション」公開。
1985年
1月 亀田製菓と1年間のCM出演契約。
2月 DeBeers(宝石メーカー)と1年間のCM出演契約。
5月 ミュージカル『カサノバ '85』(西武劇場、現パルコ劇場)にヒロイン役で出演。

  『星の旅人たち』

 84年春から85年夏まで、宝塚を退団してからの由美子の持ち時間は、振り返るとたった15カ月である。その1年3カ月の間に、由美子は、かなりの頻度で宝塚や関西に出かけている。退団にまつわる劇団との出来事は、意外なほど由美子の心に傷を残さなかったようで、同期生の舞台を観に、また、女優になった遥くららの出演作品を観に、由美子は西に向かった。その何回かは兄の雅彦が同行している。

 「交通手段は新幹線、車、バスもありましたね。高速夜行バスがまだ珍しい頃でした。宝塚が嫌いになったわけではなかったし、気がねなく行ってる感じだった。
 退めた年の夏、ちょうどニューヨークに行く前くらいだと思いますが、初めてショーコ(黒木瞳)ちゃんにも紹介してもらいました。綺麗でしたね。でも思ったより野性的な美人だなと。ショーコちゃんが“お兄さんと友達みたいでうらやましい”と言ってくれたのを覚えています。
 由美子は大阪ではテレビに出ていたから、けっこう顔が知られていて、梅田の地下街でサンドイッチを食べていたら“北原遥子さんでしょう!”と声をかけられたり、一緒にいるあの男はなんだ?みたいな目で見られたり(笑)。
 15、16才くらいまでは喧嘩相手でしかなかったし、宝塚に入ったあとも“どこがガラス細工だ、鋼鉄アレイみたいじゃないか”なんて思っていたんですが、離れて過ごした5年の間に、お互い大人になったんでしょうね。兄妹でいることのありがたみみたいなのを、すごく感じるようになっていました。仕事の話も、けっこうしましたよ。コマーシャル撮影や映画の話をしてくれたり。街にポスターが貼られたりすることはイヤじゃなかったみたいです。
 『カサノバ'85』の舞台も観ました。ヒロインで出るには女優として完成度が足りないと僕は思ったし、女優としての方向はまだ見えてなかったと思います。自分で自分の仕事にどれだけ満足度を持っていたか、宝塚をめざしたときに何を舞台の上で表現したいと思ったのか、豊中のバレエ団の舞台でもらった拍手をずーっと求めていたのか、そんなことを一度ちゃんと聞いてみたかった。ショーコちゃんは親友だったけど、どこかで負けたくないと思っていたかもしれない。だから、先に芸能界に出たような気もするんです。あの事故の1週間前に会ったときは、“仕事がもっとしたい、とにかく仕事がしたい”と言ってました。でも僕は、もっと遊べばいいと思っていた。だから“どんどん遊べよ”と、けしかけてやりました」

85年5月宝塚にて

 もちろん其田事務所は、『カサノバ'85』の舞台が終わった時点で、北原遥子の次の仕事をすでに考えていた。市川森一脚本のドラマで、その年の11月に単発で放送される東芝日曜劇場の1500回記念ドラマ、『星の旅人たち』の主役である。

 市川森一は、『黄金の日々』をはじめとする夏目雅子のテレビドラマをたくさん手がけたヒットメイカーであり、女優夏目雅子の育ての親の1人でもある。その市川にとっても、由美子は短い出会いながら、強烈な印象を残している。

「たぶん北原遥子とは、3、4回しか会ってない。それなのに印象が鮮明なんです。
 最初は、其田くんに紹介されて、どこかのパーティか劇場で会った。夏目雅子の妹分ということで、其田さんが力を入れているようだし、綺麗だったから、うまく育てばいいなと思いました。ですから『星の旅人たち』の企画が出たとき、彼女をヒロインにと推薦した。東芝日曜劇場の主役は、新人にとっては大きな登竜門です。そこで認められれば一夜でスターになれる可能性もあった。

 ドラマは、オーストラリアを舞台にした星の観測をしている若い女性の話で、番組として初めての現地ロケも予定していました。北原はすごく楽しみにしていたし、自分が出るドラマとして真剣に参加して、僕のイメージ作りの手伝いをしてくれました。たとえば、どんなとき星空を眺めるかとか、星空をじっと見つめているとどんな気持ちになるかとか、いろいろ話しました。宝塚の話はしなかったですね。僕が夏目雅子に書いたドラマは、ビデオやなにかで全部見ていて、ああいう役柄がやりたいとか、そういう話ばかりしていました。僕の話を聞いているときは、真正面でじっと目を見ながら聞いているんだけど、その目がキラキラ輝いてくる。なんだか正視できないくらい綺麗でした。

 あの事故が起きたとき、まだ台本はできていませんでした。でも放送することは決定しているわけです。主人公になるべき女優が亡くなってるのに、その人主演のドラマを書かなくてはならない、こんなに辛いことはなかった。

 ストーリーの中で、ヒロインは死んだ恋人の意志をついで、星の観測をしにオーストラリアまで行くんですが、恋人の祖母を悲しませたくなくて、彼が生きて同行しているようなハガキを書き続けるんです。僕自身も、北原遥子が生きているようなつもりで、彼女が演じるはずの物語を書き続けていました」

 東芝日曜劇場の『星の旅人たち』のヒロイン薫は、代わりの新人女優によって演じられ予定通り放送された。その最後のシーンで、薫が1人きりで荒野に立ち、空を見上げて言う言葉を市川はこんなふうに書いた。

 「(モノローグ)お婆さま、私はいま、俊介君と一緒にいます。二人で、夜明けまで星を観測しました。星を見ながら懐かしい人たちとも語り合うことができました。バサーストの星々は、私を愛してくれました。私も、星々を愛していきます。この小さな命が、燃えつきるまで……」

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「由美子へ・取材ノート」について

 「宝塚随一の美女」と称された。同期の黒木瞳と共に注目を集め、退団後は夏目雅子に続く美人女優としてデビュー。しかし御巣鷹の日航機墜落事故が彼女の人生を奪った――。これは、若くして逝った1人の女優北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづった記録である。


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