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宝塚プレシャス

由美子へ・取材ノート

第14章 別れの夏

(2007.7.10)
 その日の朝、実家に帰っていた娘の由美子は、珍しく夫の出勤を家の玄関まで出て見送りました。
 階段の2段目か3段目に座り、「いってらっしゃい」と笑顔で見送ったのを覚えています。
 「11時には祐天寺に着きたい」
 そう言って、由美子が家を出たのは9時半過ぎでした。
 美しく化粧をして、赤いベストにカジュアルなパンツスタイルで、バス停への坂道を下りていった由美子。とても暑い日で、「近道を行きなさいよ」と私は、山のほうの涼しい裏道を通るようにすすめました。
 「はーい」
 由美子は無邪気に返事をして、笑って“バイバイ”と、何度も手を振りながら坂道を下りていきました。
 それが、私が由美子を見た最後です。
(「由美子へ」プロローグ)

  その日

 兄にとって、由美子との最後の日は8月5日だった。

 「黒のボートネックの服を着て、買ったばかりの車を運転して来て、僕を乗せてくれた。そのあと渋谷で夕飯食べて別れたんです。髪が長かったせいか、妹ながら綺麗だなあと。24歳になってましたから、だいぶ大人びてきて、これから男もできるだろうなと、ちょっと寂しい気もしました」

 事務所の其田則男と内藤陽子にとっては、苦い別れかただった。

 「たぶん実家に戻る前の日でした。私と其田さんとで北原を呼びつけて一晩中叱ったんです。実は、あるプロデューサーのかたに誘われてアメリカに旅行するという。事務所を通しての話ならまだしも、個人レベルの話でしたから、どういう意味なのかわかっているのかと、さんざん叱りました。叱り役は私、其田さんはなだめ役でした。由美ちゃんは大声で泣いてました」

85年7月2日 鈴鹿サーキットにて友人たちと

 横浜の実家に、由美子は8月9日に帰宅、12日の朝まで3泊している。

8月9日(金) 帰宅した由美子に、母は事務所が連絡を取りたがっていたことを告げる。

 「事務所に電話をした由美子に、“なんだったの?”と聞くと、“テレビ局のプロデューサーのかたに、一緒にニューヨークに行かないかと誘われているのだけど、其田さんに断りなさいと言われたの”と。ちょっと残念そうでした。
 めったに人の話に乗らない子なんですが、大好きなニューヨークだったから、あまり深く考えずに行きたいと思ってしまったんでしょうね」

8月10日(土)夜 両親と由美子で鎌倉・由比ヶ浜の花火を逗子マリーナ側から見物。帰りは車で帰ってきた。その途中、由美子が運転を代わりたがったが、父は、「雨が降っていたし、まだ免許取り立てだから恐くて代わらなかった」

8月11日(日) 父は自分の絵のレッスンに出かける。母も外出した。由美子は車で鎌倉へ買い物に出かけていった。帰宅後、小町通りにある和紙の店で買ったハガキに、暑中見舞いを書いていた。

8月12日(月) 父は出勤の支度をして玄関まで出た。
 「珍しく由美子が送りに出てきて、階段の2段目か3段目に座って“行ってらっしゃい”と笑顔で見送ってくれました」。
 母とは、「NHKの住所わかる? 市川森一さんや和田勉さんに暑中お見舞いを出すんだけど」
 「渋谷区神南で着くわよ、きっと」という会話を交わしている。

 母は12時半頃、港南台の高島屋に出勤の予定だった。
 「由美子は、今日、予定があるの?」
 「日舞も夏休みだから、私もお母さんと一緒にゆっくり出ようかな?」というやりとりの直後、友人からの電話があり、長時間話していた。そして
 「やっぱり早く帰るわ。祐天寺に11時頃に戻っていたいから」と、9時半に実家を出る。母が見送った。

85年8月2日の消印の北村美保への暑中見舞い

 「きれいにお化粧をしていました。いつもは素顔のことが多いので、珍しいと思ったのを覚えています。赤いベストにカジュアルなパンツスタイルでした。バス停までの道がアスファルトで暑いものですから、山のほうの涼しい裏道を通るようにと思って、“近道を行きなさいよ”と声をかけたら、“ハーイ”と返事して、明るく笑って“バイバイ”と、何度も手を振りながら坂を下りていきました」

 11時頃に祐天寺に着いた由美子は、今の部屋を8月いっぱいで引き払うということを、不動産屋に電話している。荷物が増えて手狭になったそのアパートを出て、三軒茶屋の2DKに移ることにしていたのだ。
 それから、いきつけの美容室に立ち寄り、長く伸びていた髪を肩のあたりまでカットした。そして自分の部屋に戻り、その髪に似合うような黒と金の大ぶりのイヤリングを付け、黒のボートネックのワンピースに着替えて、夕方の大阪行きの飛行機に搭乗するため羽田に向かった。

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「由美子へ・取材ノート」について

 「宝塚随一の美女」と称された。同期の黒木瞳と共に注目を集め、退団後は夏目雅子に続く美人女優としてデビュー。しかし御巣鷹の日航機墜落事故が彼女の人生を奪った――。これは、若くして逝った1人の女優北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづった記録である。


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