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宝塚プレシャス

由美子へ・取材ノート

第19章−1 レクイエム 1

(2007.8.14)
 「宝塚時代の友人に、吉田由美子さんという女性がいました。彼女も私と同じように、宝塚をやめ、女優の道を志した人のひとりです。でもその矢先、飛行機事故で亡くなってしまいました。
 彼女に最後に会ったのは、彼女が亡くなる1カ月前。ふたりで月を見ました。月を見ながら、朝まで語り明かしました。将来、どんな女優になりたい、どんな人と結婚したい…… そんな話を朝までしました。
 私は、あの月夜を一生忘れることはできません。私はいつも、彼女の分までふたり分生きていこうと思っています」…
(「由美子へ」第3章・私と黒木瞳さんとのおつきあい)
麻実れい

 「亡くなったことは今でも私の中で大きな衝撃となって残っています。自分の近いところにいた人だったこと、稽古場で一緒に作りあげていく仲間だったこと、そして突然退めてしまって気になっていた人だったこと。
 気持ちの収拾がなかなかつきませんでした。それに、たまたまあの日は、私も大阪に行く用があって、ちょうど仕事が早く終わって、あの便をキャンセルして1便早いJALに乗ったんです。着いてから人と会っていたら、事故のニュースが入ってきて、あまりにもショックな出来事でしたから、そのあと1年以上、あの時間帯の飛行機は乗れなくなりました。

 彼女のことで思い出すのは、美しさとともに、なぜかさみしそうに見えたこと。どんな明るい役がついてもそれは感じました。もしかしたら、まだ自分を見つけられなくて、もがいていたのかもしれませんね。美しさは彼女の自信にはつながっていなかったみたいだし、もっと別のもので自分を認めてほしかったのかもしれません。それだけに、大成する姿を見てみたかった。中身が埋まったら、きっと美貌にももっと誇りを持てるようになったと思うし、スポットライトを浴び続けて、お客様の熱さをもっと感じられるようになれたら、本当に素敵な娘役になっていたのではないかと思います」

「うたかたの恋」の新人公演、マリー(「由美子へ」より)
遥くらら

 「事故の時は大阪の舞台に出ていて、ホテルの自分の部屋に戻っていたとき、知人から電話がかかってきたんです。“たいへんだ。事故があって、今、由美ちゃんの名前が出てるからテレビ見て”と。すごい衝撃でした。それ以来、ああいうものを見るのがだめになりました。次の日、舞台の終演後にインタビューを受けたんですが、ほとんどまともに答えられませんでした。

 彼女の中の無念さを、ときどき考えます。あんなに張り切って新しい仕事に向き合っていたのに、突然自分の意志でなく終わりにしなければいけなかった。その仕事への思いは、私が少しでも引き受けてあげよう。それは、仕事を続けている間、いつも私が感じていたものでした。

 少し前まで住んでいたところが、彼女の眠っているお寺の近くで、よくお墓には行っていました。突然いなくなってしまった由美ちゃんですが、逆に事故以来、なんだかとても身近に感じながら暮らしています」

杜けあき

 「事故のことは旅先で知りました。友達と旅行に行っていて、たまたまテレビを見ていたら事故の速報が出て“ヨシダユミコ”という名前が出たんです。大阪行きの便だし、もしやと思いました。
 電話で、どうも由美子らしいということを聞いてからは、テレビにかじりついて、連絡を待って眠れませんでした。遺体が見つかったという訃報を聞いたときは、ショックと悲しみでいっぱいでした。少し時間が経ってからはまた実感がなくなり、どこかで幸せに生きているように錯覚したり……。退団したとき私のそばから一度いなくなっているから、まだその延長上みたいな感覚に戻ったんでしょうね。今もそれはどこか続いている感じがします。

 時々むしょうに思い出すときがあるんですよ。そういうときは、会いたくなって来てくれているのかなと思ったり…。
 亡くなってまだ3年目くらいのときかな、『風と共に去りぬ』のレット・バトラーの稽古で行き詰まってしまって、苦しくなって屋上に行ったんです。そこで不意に“ああ、同じようなシチュエーションがあったな”と、急に由美子が恋しくなって、“由美ちゃーん、助けてよ”なんて叫んだこともありました。

 考えてみたら彼女は数奇な運命というか、いろいろなことを走り抜けて行ってしまったなと思います。だから、もし同じことがもう一度できるなら、“今度はゆっくりね”と言ってあげたい」

小乙女幸

 「由美子のことで思い出すのは、お小遣い帳つけてて10円足りないというので必死に考えていたり、布団を頭までかぶって本を読んでるときの顔。無心で一生懸命な顔が本当に綺麗でした。いろいろなことに追われていて、寝ないでがんばって、でもそれができていたのは、気力も体力もあったからだと思うし、生きている間は、生命力を人一倍燃やしている子だったと思います」

枝格(『おはよう朝日です・土曜日です』の当時のデイレクター)

 「一緒の仕事は、そりゃあ楽しかったですよ。でも前の日遅く来て、放送時間が終わるとさっと帰るから、デイトに誘うヒマもなかった(笑)。
 由美ちゃんとショーコ(黒木瞳)ちゃんは、パッと見たら由美ちゃんが優しい感じで、ショーコちゃんはきつそうに見えたけど、中身は実は反対だっていう説を聞いたりすると、そういえばそうかなと思ったりしました。由美ちゃんは、実は頑固だったという話をあとで聞いたりして、やめ方とかそのへんを考えると、なるほどなあと。ある一直線さがあったのかもしれませんね。

 由美ちゃんが亡くなったあと、取材したときの写真でアルバムを作ったんですよ。ロケのスナップ写真なんですけど、すごい美人のお嬢さんが、銭洗い弁天とかあちこちでポーズしてるような、いい意味で素人っぽさのあるスナップばかり。これはぜひアルバムにしてご両親にさし上げようと。めちゃめちゃ美人の彼女を写してみたぞ!みたいな、僕の思いだけで作ってしまったアルバムでした」

林伸一郎(『おはよう朝日です・土曜日です』の当時のアナウンサー)

 「亡くなったときは、『朝日です〜』が、ちょうど高校野球中継で休みだった時期で、再開した1回目の冒頭に、由美ちゃんの事故のことを言わなければいけないのが、本当に辛かったですね。由美ちゃんとは、(宝塚を)退めたあと『カサノバ'85』を観に行って、その終演後、渋谷で食事して、それが会った最後でした。

 亡くなった次の年のクリスマスに、由美ちゃんの実家とお墓に初めてお参りに行って、ついでにショーコちゃんに会ったんです。退団して間がない頃でまだそんなに売れていなかった。新宿で食事をして、そのあとお酒を飲みながら、当然のように由美ちゃんの話になって…。そしたらショーコちゃんが言ったんです。“私はもう恐いものなんかない。死ぬのももう恐くない。死んだら由美子と一緒になれるんだから”と」

内藤陽子(由美子のマネージャー)

 「男性からいろいろお誘いあったけど、がんとして受け付けなかったのは、好きな人がいたのではないかな。その反面隙だらけで、周囲の男の人たちが父親のように心配してあげる、そういう子でした。いろいろな人の愛情を十分に注ぎ込んでもらって生きたと思います。
 私は、あの子が、どうしても尼さんとかシスターに見えてならないんです。実際そういうところがあった。人が言ったことを疑わずに呑み込んでしまうような、たとえイジメられても、決して同じことを人に返さない子。イヤなことを仕返すなんて考えたこともなかったと思う。それは、あのご両親の子供だったからでしょうね。そして、亡くなったことでたくさんの人たちを出会わせ、そこから絆が生まれています。それは、北原遥子が呼び寄せた縁。徳の高い人なんだと思います」

其田則男(由美子の所属事務所代表)

 「北原は恋はしていたかといえば、そうかもしれない。よく友人たちに会いに大阪に行くと言っていたけれど、そのなかに好きな男性がいたとしても、不思議ではないです。生真面目そうに見えたけど、きどっているんじゃなく、すごく親しみやすいところもあったし、計算がなかった。人柄のよさで、夏目雅子と同じように、芸能界を生き抜いていけたと思う。愛されて大きくなっていくタイプの女優になれたはずでした」

市川森一

 「あの日航機に北原遥子が乗っていて事故に遭ったと聞いたとき、すぐには信じなかったし、どこか現実ではないような感覚でいた。それなのに8月13日か14日に、彼女からの暑中見舞いのハガキが着いたんです。【大阪から帰ったら、またお会いしましょう。ドラマを楽しみにしています】と書いてあった。それを見たとき、悔しさがいっぺんにこみ上げて、体の震えがとまらなかった。
 もし、北原遥子がテレビの『星の旅人たち』の主役をやりとげていたら、夏目雅子に並ぶスターになれる可能性があった。大型の女優になれる資質もあった。そして彼女は、断じて“死ぬべきヒロイン”ではなかった。生きて、たくさんの人たちを生かしていく、包容力のあるヒロインに、女優に、なるべき人だった」

バックナンバー

「由美子へ・取材ノート」について

 「宝塚随一の美女」と称された。同期の黒木瞳と共に注目を集め、退団後は夏目雅子に続く美人女優としてデビュー。しかし御巣鷹の日航機墜落事故が彼女の人生を奪った――。これは、若くして逝った1人の女優北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづった記録である。


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