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宝塚プレシャス

由美子へ・取材ノート

第19章−2 レクイエム 2

(2007.8.14)
 由美子の眠る玉鳳寺というお寺は東京都心のこぢんまりとした寺で、入り口の地蔵尊「化粧地蔵」は、俗に「おしろい地蔵さん」と呼ばれていて、顔のあざや傷を治すと言われて、信仰を集めているそうです。
 ……
 玉鳳寺には、たまたま由美子の一周忌に合わせるかのように、聖観世音菩薩が建立されました。もともとは境内の無縁仏のお墓を整理して、観音菩薩を建立することになっていたそうです。その折、由美子をモデルにしたいと言われて、こちらには異存がないこと、むしろありがたいお話であることを伝えると、由美子の面影を宿した観音像ができ上がりました。 …
(「由美子へ」第4章・美遥観音)
北村美保(15年間文通をした友人)

 「小学校で出会った頃の由美子ちゃんはとても体が大きく、私はとても小さかった。由美子ちゃんはバレエから体操で、私はピアノで、静と動。そして、どんどん活躍していく由美ちゃんに比べ、私は学校生活で苦しめられたり、つらい目にもあっていました。でも、由美ちゃんからの手紙は、いつも本当に心から優しく、控えめで、気持ちが癒されるお手紙ばかりで、どれだけ救われたことか。
 私の存在が、どれだけ由美ちゃんの助けになっていたのかはわからないのですが、お互いにあれだけたくさん手紙を書いたのは、それぞれ勉強や受験など忙しい毎日の中で、息抜きになったり、書くことで自分を奮い立たせたりしたからだと思います」

菅野(福田)聡(池上スポーツクラブ時代からの友人)

 「最後に会ったのは5月5日。『カサノバ'85』を観に行って、舞台が終わったあと、楽屋にたずねていったんです。そしたら、舞台にまだ残っていると言われて、袖のところの暗がりから“由美子”って呼んだら、“サトル?”ってぱっと振り返って駆けてきて、抱き合いました。私が10月に子供が生まれると話したら、すごく喜んでくれました」

井上薫(中学生の頃、一緒に宝塚観劇をした友人)

 「彼女が退団して1人暮らしを始めたころ、私も同じ沿線の中目黒に住んでいましたから、偶然日比谷線で会ったんです。女優を続けていく決意みたいなものを感じて、よかったなと思いました。それからまもなくあの事故に遭って…。
 私にとっていちばん忘れられないのは、中学3年のある日、“お母さんと宝塚を観に行くの!”と嬉しそうに言って、くるっとスカートをひるがえして遠ざかっていった由美ちゃん。その後ろ姿が、眩しいくらい綺麗で、今もまぶたに焼きついています」

  4つの墓碑

 港区三田の玉鳳寺。由美子が眠る寺である。

 入り口に地蔵堂を持つこぢんまりとした寺で、入り口の地蔵尊は「化粧地蔵」。俗に「おしろい地蔵さん」と呼ばれていて、顔のアザや傷を治すと言われている。

右上.由美子がモデルとなった美遥観音 右下.玉鳳寺に眠る由美子 左.御巣鷹の石碑(「由美子へ」より)

 この寺に吉田家が墓所を持つことになったのは、先代の住職が、桐ヶ谷斎場で行われた通夜と葬儀の際に読経をあげてくれた僧侶のひとりだったことによるものだが、美しかった由美子が、容貌にまつわる悩みを救う寺に葬られているというのも、不思議な因縁という気がする。

 「恵正院清蓮美遥大姉」というのが由美子の戒名で、「吉田家之墓」と書かれた墓石には、由美子の笑顔の写真が飾られ、造花や生花で、その一画はいつも華やいでいる。この玉鳳寺には、事故の一周忌に聖観世音菩薩(通称・美遥観音)が建立され、犠牲者の魂を供養するその観音像は、モデルである由美子の面影を宿して、美しい微笑みを浮かべ墓地を見守っている。

 吉田由美子または北原遥子という名前が刻まれた墓碑は、玉鳳寺のほかに3つある。

上野村にある慰霊の園。確認できなかった遺体百数十体がこの奥に葬られている。

 1つは、御巣鷹の尾根の事故現場の墓標。もう1つは日航機事故遭難者のために群馬県上野村が作った慰霊の園、そこは無惨にも最後まで識別できなかった部分遺体の遺骨を祀る墓所であり、同時に520名の御霊を、上野村が心をこめて守り続けている場所である。

 そして、宝塚歌劇団の創始者小林一三翁が眠る大阪府池田市の大広寺にも、北原遥子の名が刻まれている。在団中、または退団後に亡くなった宝塚の生徒のための慰霊碑である「宝友之塔」におさめられた過去帳には、約600人以上の物故者名が書かれて、原爆の犠牲になった園井恵子、洞爺丸事故で亡くなった佐保美代子、奇しくも由美子と同じように航空機事故で命を落とした清月輝、結婚退団の直前に脊髄のガンで逝った世れんか、というような悲しい記憶を呼び起こす名前も並んでいる。そして、その物故者たちのなかで最も若くして逝ったのが北原遥子である。24歳という若い死の記録は、おそらく、この先も破られることはないにちがいない。

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「由美子へ・取材ノート」について

 「宝塚随一の美女」と称された。同期の黒木瞳と共に注目を集め、退団後は夏目雅子に続く美人女優としてデビュー。しかし御巣鷹の日航機墜落事故が彼女の人生を奪った――。これは、若くして逝った1人の女優北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづった記録である。


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