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医療・健康
朝日新聞社

息子の「ドナーカード」 〜患者を生きる〜

初出:2010年5月25日
WEB新書発売:2012年10月22日
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 交通事故で脳死状態になった息子。「息子を何とか残してやりたい」そう思った母は、リュックに残っていた臓器提供の意思表示カードを見つけて、息子と気持ちが通じたと感じました。(文中の肩書、年齢などはすべて掲載当時のものです)


「本人の意思」あったから


 2月、神戸市。献眼をした人の遺族や角膜移植を受けた患者が集う兵庫県アイバンクの慰霊祭で、小学生の男の子(8)の声が会場に響いた。
 「お父さん、よくがんばったね。その目でぼくを見守っていてね。ぼくもがんばるよ」
 そんな孫の姿を見て涙が止まらなかった。《そうや。あんたのお父さんの目も心臓も肺も肝臓も、みんな生きているんや》
 孫の父、つまり息子が、30代の若さで脳死状態になったとき、その臓器を、様々な病気で臓器移植を待つ患者らに提供しようと最初に決意したのは、母親である自分(60)だった。
     ◇
 「助からないなら、臓器提供のようなことはできるやろか」
 ある冬の日、兵庫県内の救急病院。こう打ち明けると、12畳ほどの家族控室に集まった家族が静まりかえった。離婚して実家に戻っていたトラック運転手の息子が、仕事中の転落事故で意識不明になり、消防防災ヘリで運びこまれた。しかし、脳死状態だった。
 「わかっとって口にしとるんか。考えてもの言いや」
 猛然と反発したのはめい(35)だった。息子とは小さいころ一緒に暮らすなど、きょうだい同然に育った。まだ小さな子どもがいるではないか、父子で1時間でも長く過ごさせてやることの方が大事ではないか、と訴えた。
 《それはわかるけれど、死ぬのを待っているだけでは、かわいそすぎるやん。なんですべて灰にせなあかんのん。息子を何とか残してやりたい》
 こんな思いが頭の中を駆け回り、思わず泣き叫んでいた。「ほかの誰かを助けたいんやない。この子を助けたいんや」
 「どっちも正解やと思う」。医師でもあるめいの夫(37)は困ったように言った。「でも、臓器提供に動き出したら止めるのは簡単やないです。もういっぺんよく考えて」
 再び沈黙が続いた。そして、黙って聞いていた夫(61)が重い口を開いた。「母さん、それでええと思う」
     ◇
 事故当日。病院に駆けつけると、集中治療室(ICU)で息子が横になっていた。腕や頭に血圧や脳圧を測る管やケーブルをつながれ、人工呼吸器を着けられているが、外傷はほとんどない。スヤスヤと眠っているようだ。
 しかし、コンピューター断層撮影(CT)画像の脳の断面図では、右側が大きく膨らみ、全体的に左に寄っている。「きわめて重篤な頭部外傷で脳が腫れている状態です。行いうるすべての治療を施しても回復の見込みはありません」。脳の機能が失われていることを医師に告げられた。
 目の前で眠る息子の手に触ると温かい。心臓もトントントントンと鼓動を続けている。手を握ると、息子の目から涙が流れた。「起きろ。目を覚ませ」「がんばれ」。枕元に置いてある携帯電話に、友人たちからメールが次々入っていた。
 事故の翌日、親類の一人が「脳死、いうことでしょうか」と尋ねた。医師は「脳死と思われるが、判断するには臓器提供を前提とした法的脳死判定が必要になります」。
 《臓器提供か……。お母さんがあんたの心臓の入れ場を探したげる。姿はいらん。よそさんの体で生きてくれれば》。そう思って決意した。
     ◇
 悩み、話し合った末に家族の考えがまとまったのは事故から3日目。夫とめいの夫が臓器提供の意思を主治医に打ち明けた。
 主治医は驚きながらも、臓器移植コーディネーターに連絡を取ってくれた。しかし、「脳死下での臓器提供については、本人の意思表示があるドナーカード(意思表示カード)がないとできません。一度探してみてはいかがですか」。
 「ドナーカード? そんなもんあったかいな」
 首をひねりながら、息子がいつも持ち歩いていたリュックサックを開けてみた。財布、カード類、給与明細までもがきちんと整理されていた。十数枚のカードの束を繰った。中から健康保険証が見つかった。裏の保護シールをはがすと、意思表示カードの文面が現れた。
 自筆の署名と心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)、小腸、眼球、すべての臓器に丸がつけてあった・・・

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