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医療・健康
朝日新聞社

仮設暮らしの母「家さ帰る」 〜患者を生きる

初出:2012年3月13日〜3月15日
WEB新書発売:2013年9月17日
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 物忘れが出るようになっていた母親。被災したあと、自宅が津波で住めなくなったことを何度説明しても忘れてしまうようでした。仮設住宅で認知症はどんどん悪くなり…。(文中の肩書、年齢などはすべて掲載当時のものです)


震災の日の記憶がおぼろ


 岩手県陸前高田市の藤丸(ふじまる)ナカエさん(85)は、震災の日の記憶があやふやだ。「津波がきてなー、怖かったな」とつぶやいたかと思うと、波にさらわれたまま、行方不明の姉の消息を何度も尋ねる。長男の孝義(たかよし)さん(69)と妻の秀子(ひでこ)さん(65)は、そんなナカエさんがもどかしくてならない。
 震災前は孝義さん夫妻や孫、ひ孫たちと7人で、海から約300メートルの自宅に暮らしていた。3年前に夫を脳梗塞(こうそく)で亡くして以来、財布の置き場所が分からなくなるなど、少しずつ物忘れが目立ち始めた。だが炊事や洗濯は自分でできるし、裁縫や畑仕事もこなす。安心して、留守番を頼んで出かけられた。
 震災当日。孝義さんは心不全の治療で大船渡市の県立病院に入院していた。秀子さんは、自宅に近い勤め先の工場でイカの天ぷらを揚げていた。孫やひ孫たちもそれぞれ職場や学校へ。そして、あの大揺れが来た。
 秀子さんは大急ぎで火を消して、同僚と山へ駆け上がった。一人で家にいるナカエさんが気になり、自宅を見下ろせる場所を探すと、ちょうど真っ黒な津波が煙を立てて押し寄せてきた。「やややや、あ、おらの家なぐなった」。悲鳴を上げる間もなく、自宅の屋根が大波の下に消えていった。
 「ばあちゃんもきっと、逃げてるはず」。秀子さんは自分に言い聞かせた。捜しに行きたくても、押し寄せた波が引くまでは山を下りられない。入院中の孝義さんや、娘、孫たちのことも気にしながら、米崎(よねさき)小学校の避難所に身を寄せた。
 避難所で向かいに住む女性と出くわすと、ナカエさんのことを話してくれた。縁側でボーっと座っていたので、手を引いて一緒に逃げたこと。高台へ向かう車が通りかかり、押し込むように乗せたこと。長い距離は歩けないため、ストーブの使える民家に泊まらせたという。「あ〜、よかった。生きてたぁ」
 孝義さんの弟が迎えに行き、ようやくナカエさんと会えたのは震災から4日目。孝義さんも退院して家族を探し当て、避難所暮らしが始まった。250人ほどが寝起きする体育館で、布団3枚分ほどのスペースが、ナカエさんと孝義さん夫妻の生活の場になった・・・

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