医療・健康
朝日新聞社

森山周一郎の右手 〜患者を生きる〜

初出:朝日新聞2013年11月26日〜12月1日
WEB新書発売:2014年7月28日
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 俳優・声優の森山周一郎さん(79)は、1999年に右の手足が突然動かなくなりました。救急車に乗る前にまひの症状は消えていましたが、脳梗塞による「一過性の脳虚血発作(TIA)」と診断されました。入院した日から翌日にかけ、5時間おきに発作を繰り返しました。薬で治療を続けることになり、症状は次第に軽くなりましたが、右手が医師と関係なく動く「不随意運動」が目立つようになってきました。(文中の肩書、年齢などはすべて掲載当時のものです)


15秒で消えたまひ


 食卓に広げた原稿用紙に向かった瞬間、右手に持っていたペンがポトンと落ちた。「あれっ」と思う間もなく、右手がだらりと下がり、動かなくなった――。
 あと3日で65歳になる1999年7月23日朝。俳優・声優の森山周一郎さん(79)は、埼玉県久喜市の自宅で異変に気づいた。
 いすから立とうとしたが、今度は右足に力が入らない。左足だけで立ちあがり、声を絞り出した。
 「なんか……おかしい」
 近くで朝食の準備をしていた妻の大塚敬子(おおつかけいこ)さん(78)は、病気知らずだった夫のただならぬ雰囲気に驚いた。夢中で電話に飛びつき、救急車を呼んだ。
 あるときは威厳をたたえた大学教授や大物作家。またあるときは暴力団の組長。少し濁音が混じった、重厚で「ドス」の利いた声を売り物に、多くの舞台や映画などに出演してきた。
 外国作品の吹き替えも人気で、米テレビドラマ「刑事コジャック」の主役テリー・サバラスの吹き替えが当たり役。スタジオジブリのアニメ映画「紅の豚」では主役を演じ、「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」の名ぜりふで知られる。
 愛知県の犬山高校を卒業する直前に映画のカメラマンを目指そうと決め、上京して日本大芸術学部映画科に入学。たまたま受けたタレント養成所の試験で「君の声はラジオドラマに使えるよ」とほめられた。これを機に俳優を志し、53年に劇団東芸の第1期研究生となった。
 東京・巣鴨にあった親戚の石炭販売店でアルバイトをしながら劇団の練習をした。人より早く出社して、石炭の配達や事務の手伝いなどのノルマは必ず達成させた。
 新劇俳優といえば「食えない職業の代表」といわれた時代だった。しかし、やがて民間のテレビ局が次々に開局。人一倍せりふ覚えがよかったため、失敗が許されない生放送のドラマに引っ張りだこになった。
 独特の低音は生まれつきだ。9歳のころに他界した父の地声に似ているらしい。子どものころにはよく友だちから笑われたが、「父から大きな遺産をもらった」と思う。
 父は芝居が好きな人だったと母から聞いた。赤ん坊だった自分を母に抱かせ、歌舞伎や新派、新国劇、新喜劇などに連れて行った。
 映画好きも父の「遺伝」で、高校生のころに封切りされた映画は日本映画、外国映画を問わず全部見に行った。なかでも好きだったのがジャン・ギャバンだ。
 「でも本当は、野球で飯が食えればいいなとも思っていた」。本塁から外野スタンドまで約100メートルの遠投ができ、50メートルを6秒そこそこで走る走力があった。犬山高校の野球部の打順は3番。投手と捕手を含むほとんどの守備位置をこなせた。
 地方大会準優勝が最高成績だったが「スカウトには名が売れていた」。25歳から32歳まで、劇団俳優の仕事と実業団野球の二足のわらじをはいていた。埼玉県立の工業高校から請われて、野球部の監督も2年務めた。
 「雨が降って野球ができない日には、劇団の仕事にいく」といった毎日。マネジャーとよくけんかをした。
 50歳から始めたゴルフもあっという間に上達し、63歳でのハンディキャップは「4」と絶好調。テレビ番組での対戦で、プロに勝つほどの腕前になっていた。
 20歳のころ「正月の三が日で酒を飲みすぎて」盲腸炎を起こして3日間入院して以来、大きな病気はしたことがない。だから、健康と体力には自信があった。
 右手が動かなくなった朝も、一瞬あせったが、15秒ほど経つとまひは消えた。
 落ち着いてパジャマから外出着に着替えると、自宅前に救急車が到着。サイレンの音に気づいた近所の人たちが外に出て心配してくれた。
 「お騒がせしてすいません」。近所の人にあいさつしながら、敬子さんを伴って歩いて救急車に乗った。
 この日書くはずだった原稿は、野球雑誌のコラム。締め切り時刻が迫っていた。「はやく診察を終えて、原稿を書かなくっちゃ」。病気よりも気にかかった。
 話を聞いた救急隊員は、軽い脳梗塞(こうそく)だと思った。脳の血管に血液やコレステロールの塊が詰まり、血流が止まって右手足がまひしたようだ。血管の詰まりはとりあえず解消されているが、もしそうなら、再発しないようにすぐに治療しなければならない。
 しかし近くには脳外科の施設がなかった。車で30分ほどかかるが、専門医のいる埼玉県済生会栗橋病院(埼玉県久喜市)に向かうことになった。
 入院する気など、さらさらない。「もう治った。正常だ」というと、救急隊員から厳しく言われた。
 「それが一番危険。放っておいてはだめです」()
   *
 もりやま・しゅういちろう 1934年、名古屋市生まれ。劇団東芸代表。俳優や声優、ナレーターとして、舞台公演のほか映画やテレビ、ラジオ、CMなどに広く出演。渋い声質を買われ、30も年上のフランス映画スター、ジャン・ギャバンなど、洋画や海外ドラマの吹き替えでも活躍。中学・高校では野球に没頭。東京芸能人野球連盟会長を務める。本名は大塚博夫。
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森山周一郎の右手 〜患者を生きる〜
216円(税込)

 俳優・声優の森山周一郎さん(79)は、1999年に右の手足が突然動かなくなりました。救急車に乗る前にまひの症状は消えていましたが、脳梗塞による「一過性の脳虚血発作(TIA)」と診断されました。入院した日から翌日にかけ、5時間おきに発作を繰り返しました。薬で治療を続けることになり、症状は次第に軽くなりましたが、右手が医師と関係なく動く「不随意運動」が目立つようになってきました。「患者を生きる」脳と神経シリーズ。〔掲載〕朝日新聞(2013年11月26日〜12月1日、6600字)

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