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政治・国際
朝日新聞社

憎悪の歴史を乗り越える 内戦終結20周年のレバノンを歩く

WEB新書発売:2010年8月20日
朝日新聞

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◇虐殺の村、記憶は消えず
◇若者の協働、共存探る
◇対話重ね、過ちを謝罪
◇宗教超えた子供の輪


虐殺の村、記憶は消えず

 オバイ村はベイルートから車で急な坂道を上った標高800メートルの高台にある。首都は例年にない猛暑に見舞われているが村には涼風が吹く。
 レバノン山脈の村々はイスラム教ドルーズ派とキリスト教徒が混住していた。しかし、レバノン内戦で双方の民兵が争い、ドルーズ派が地域を制圧し、キリスト教徒は逃げて避難民となった。


 2010年8月、政府の仲介で村の両派の住民による和解の調印が予定されている。村から去ったキリスト教住民を帰還させるための取り組みだ。
 ベイルートの英語教師アントワン・カナアンさん(48)は、14歳で家族とオバイを離れた。いまは和解委員会のキリスト教徒側代表の一人だ。「やっと補償の話し合いがついた。双方の政治指導者も和解を了解した」と語った。
 オバイのカナアンさんの家には、内戦で家を失ったドルーズ派住民が住んでいる。国は帰還するキリスト教徒と、立ち退くドルーズ派双方に200万円の補償を出す。
 「家を改修して、夏の間だけでもオバイで暮らしたい。2人の娘に故郷を味わわせたい」とカナアンさんはいう。「身分証明書にはオバイと記されているが、娘たちはふるさとを知らない。避難民のままでは根無し草になる」
 キリスト教徒への補償金はまず半額が支払われ、家の修復や再建に着手した後に残りが支払われる。「村に戻るキリスト教徒は半数以下だろう。内戦の記憶が残り、帰還への不安は強い」と語った。
 避難民省は1993年にドルーズ派主導で設立され、19地区で和解を実現した。国が村の和解にかかわるのは「虐殺があった難しい地区ばかりだ」とゼイトゥーニ退去担当部長は語る。なおオバイ村など3地区が未解決で残った。


 ドルーズ派にとってキリスト教勢力との関係修復は、政治基盤の安定のため不可欠だ。ゼイトゥーニ氏は元ドルーズ派民兵の幹部だ。「キリスト教徒の家に住んでいたドルーズ派住民を7万戸から退去させた。抵抗すれば警察を使って強制執行した」と、同胞からの憎まれ役を演じた・・・

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