【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

社会・メディア
朝日新聞社

井上ひさしさんが遺したもの 戦後65年の夏に

WEB新書発売:2010年8月27日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

◇原爆者の心、戯曲に刻む
◇本が父親、施設で過ごす
◇9条、次世代へつなぐ
◇米の問題 故郷から発信
◇未来へ 思い託す


原爆者の心、戯曲に刻む

 井上ひさしさんが2010年4月に75歳で亡くなって初めての夏を迎えた。劇作家、小説家、エッセイストとして膨大な作品を残す一方で、護憲運動に取り組み、地方やコメの問題にもこだわり続けた。笑いと涙の作品群の根底にあるのは平和への願い。その原点に触れようと、各地の足跡をたどった。

 広島原爆の日。今年も爆心地から約600メートル東南にある県立広島第一高等女学校(現・広島皆実高)の慰霊碑の前に、生き残った当時の生徒たちが集まった。
 「全身大やけどで皮膚が地面まで垂れ下がった人々が町中にあふれ、川は死体だらけだった……」
 川村淳子さん(80)は3年生だったあの日の光景を鮮烈に覚えている。動員先の印刷工場近くで被爆。「黒い雨」の中、避難先に向かう途中で地獄絵を見た。その後、屋外の作業に動員されていた1年生を捜しに行った。「県女の生徒はいませんか」と呼びかけると、やけどをして倒れていた後輩たちが正座をして名乗り出た。だが翌朝までに動員されていた1年生223人は全員息絶えた。
 「あの時の彼女たちの姿は忘れられません」
 1994年に初演された戯曲『父と暮(くら)せば』の主人公・美津江は、同校の卒業生という設定だ。

 〈防火用水槽に直立したまま亡うなった野口さん。くちべろが真っ黒にふくれ出てちょうど茄子(なすび)でもくわえているような格好で歩いとられたいう山本さん……〉

 美津江が何人もの友人の死の様子を語る場面がある。父を置き去りにしてしまったこととともに、〈生きとるんが申しわけのうてならん〉という後ろめたさを募らせる。川村さんも四つ下の弟が消息不明、兄はその年に、父は数年後に原爆症で他界した。「ちょっとの差で生き残った自分が申しわけなかった」。その思いは美津江と重なる。
 創作時の舞台裏を、井上さんはこう述懐している。
 「被爆者の声を集め、『心の被爆者』になることでこの作品を書き上げた。絶望の中を生き抜いた被爆者の手記を聖書のように読み続け、そこにある言葉を写経のようにノートに書き写した」
 被爆者の手記を読むため、広島市立中央図書館に何度も通ったという。そしてこの戯曲を語る際、反核運動を指導した英国のある歴史家の「抗議せよ、そして生き延びよ」という言葉を引いたうえで、「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」と、「記憶せよ」を付け加えた。


 作品は英語、ロシア語、中国語、ドイツ語、イタリア語に翻訳され、今月新たに仏語版も出版された。井上さんが旗揚げした「こまつ座」による上演は今夏で計423回、2001年にモスクワ、04年には香港にも遠征した。
 「人類がこの悪魔の罠(わな)から抜け出す日まで、この芝居を上演し続ける決心である」
 ロシア公演の際、井上さんは現地でそうスピーチした。以来・・・

このページのトップに戻る