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朝日新聞社

原爆開発は被爆国日本でも 葬られた極秘の開発計画

WEB新書発売:2010年9月3日
朝日新聞

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極秘研究、福島に拠点

 世界唯一の被爆国日本に、原爆開発計画があった。第2次大戦末期、その拠点は福島県石川町に置かれ、原爆製造用のウラン鉱石を学徒動員の学生が掘り進めていた。戦後65年。秘密裏に進められた計画の現場を訪ねた。

葬られた証拠 ウラン鉱石確保が役割

 阿武隈山脈に抱かれた人口約1万8千の石川町。中心部にある町立歴史民俗資料館では、鉱石が棚からあふれんばかりに展示され、明治期から、全国でも指折りの鉱物の産地として知られてきた町の歴史を物語る。
 そこに趣の異なる一角があった。古い白黒写真が数枚。山肌がむき出しのがけに、ツルハシを手にした学生と、軍人が肩を並べている。解説板の文字が目についた。「原子爆弾と石川町の関わり」
 大戦開戦前年の1938年、ウランの核分裂によって猛烈なエネルギーが放出されることが発見されたのを機に米、ドイツなどが原爆開発競争に突入。日本でも41年、旧陸軍が東京の理化学研究所の仁科芳雄博士に開発を委託して開発が始まる。目指したのは悪化する戦況を打破する起死回生の一発。それにはウランが欠かせない。目をつけられたのが、多様な鉱石を産する石川町だった。
 東京から仁科博士の門下生で後に日本化学会会長となる飯盛里安(さとやす)博士が派遣され、1945年春、第八陸軍技術研究所の協力の下、実験室と工場「理研希元素工業扶桑第806工場」からなる飯盛研究室が稼働を始めた。

 工場は現在、歴史民俗資料館が建っている場所にあった。当時をしのばせるものは、わずかに残った石垣しかない。原爆開発計画は軍事機密だったため、戦後、多くの証拠が闇に葬られた。
 実験室と工場で何が行われていたのか・・・

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