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朝日新聞社

武甲山いまむかし 姿変わり果てた「秩父のシンボル」

WEB新書発売:2010年10月1日
朝日新聞

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第1話 白い墓標 採掘続き「あんなに小さく・・・」

 秩父市と横瀬町にまたがる武甲山(1304メートル)が、石灰石を削られ、やせ細っていく。それを見て、小さな胸を痛めた少年がいた。市立小4年の時、作文を書いた。1971年、標高が1336メートルあったころだ。
 「二、三年前に見た時にくらべて、あんなに小さくなった武甲山。はっぱにくずされていく武甲山。こんなことをくりかえしていたら、二十年後には、きっと今の三分の一ぐらいになってしまう。武甲山は秩父から姿を消してしまう」(武甲山植物群保護対策推進協議会編〈武甲山の特集〉から。要約)

 40年目の今年、武甲山は「三分の一」にはなっていないし、「姿を消して」もいない。だが、少年の心配を笑うことはできない。
 採掘は、わずかだが江戸時代に始まり、23年設立の秩父セメント(現・秩父太平洋セメント)が西側を掘り始めて本格化。戦後の高度経済成長期には北側も対象となり、同社と武甲鉱業、菱光石灰工業の3社に集約される大小の企業が加速させた。
 71年の全山の採掘量は、約830万トン。その5年前の2倍以上、10年前の4倍近くになっていた。採掘法は荒っぽく、斜面を爆破しては崩していた。「自分の大切なものを傷つけられるように感じていた」。いま大阪府に住み、大阪大学准教授になった小口一郎さん(48)は、作文を書いた当時の思いをそう話した。
 81年からは、3社が個別に斜面を掘るのを改め、協調して階段状に掘り下げる方式に変わった。作業の安全性や効率性を図るためだ。階段は標高1千メートル以下まで下がってきた。2008年度末までの総採掘量は約4億3千万トンに上り、今後見込まれる可採量は約5億トンという。ここ数年の年間採掘量(約600万トン)で計算すると、あと80年以上は採掘が続くことになる。
 武甲山はどうなるのか。残壁と呼ばれる終掘後の山肌の安定や緑化対策を研究する「秩父地区残壁研究会」の初代座長、故下村弥太郎・東大名誉教授の言葉が残る。「長さ5km、高さ900mに及ぶ世界にも例のない大斜面となる」(2002年刊〈残壁研究会30年のあゆみ〉)

 南側には石灰石がないため、武甲山が消滅することはない。だが、・・・

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