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朝日新聞社

オフトからザッケローニまで サッカー代表監督の系譜

WEB新書発売:2010年10月8日
朝日新聞

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 ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で16強入りした日本は、14年ブラジル大会へ向けて、イタリア人のザッケローニ新監督の下で、新たなスタートを切った。
 それぞれの方針、個性でチームを作り上げ、時代ごとの代表を象徴する監督。外国人プロとして初めて代表を率いて新時代の扉を押し開いたオフトから、初陣を迎えるザッケローニまで8人の監督と、それぞれの時代を振り返る。


アルベルト・ザッケローニ 在任期間:2010年9月〜

 1953年4月1日、イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州メルドラ生まれ。95年からウディネーゼを率い、残留争い常連のチームを97〜98年にセリエA3位に引き上げた。翌季にはACミランで優勝。ラツィオ、インテルミラノなども率い、3バックの布陣を好んで用いた。

◎「世界基準」知る攻撃型(2010年8月31日)
 W杯南アフリカ大会で日本が16強で敗退してから2カ月。難航していた次期監督選考がようやく決着した。さらなるレベルアップに選ばれたのは初のイタリア人監督、アルベルト・ザッケローニ氏(57)。欧州でも戦術的な洗練度が高いイタリアのクラブで実績を積んだ手腕に、2014年W杯への道筋づくりが託される。
 日本サッカー協会の原博実強化担当技術委員長が監督選びで重視したのは、世界基準での指導実績だった。
 「欧州や南米の高いレベルのクラブでの経験、実績があり、なおかつ、欧州チャンピオンズリーグ(CL)などの経験がある監督」。ザッケローニ氏はこの要求に当てはまる
 指導者として名を成したのは、イタリア1部リーグ(セリエA)の名門ACミラン時代。就任して初めての1998〜99年シーズンに優勝に導いた。3人のFWを前線に配する攻撃的な布陣を用いたサッカーが特徴だった。その後、ラツィオ、インテルミラノといった強豪の指揮官を歴任した。
 ただミランで優勝した以外に輝かしい実績はない。欧州CLでも決勝トーナメント進出を逃し続けた。2010年1月には名門ユベントスの立て直しを任されたが、7位に終わった
 最近の実績の乏しさが、「過去の名将」とも言われるゆえんだ。


ハンス・オフト 在任期間:92年4月〜93年11月 〈戦績〉17勝4敗6分け

 日本代表初の外国人プロ監督、オランダ人。当時の川淵三郎強化委員長に抜てきされた。93年のJリーグ誕生期と重なり、サッカーブームの機運に乗って就任1年6カ月でW杯出場まで1勝と迫った。丁寧な指導がプロ移行期の選手の能力を飛躍的に引き出したが、コマ不足に悩まされた。

◎初の外国人監督(92年3月18日)
 サッカーの日本代表チームに初の外国人監督として就任したオランダ人のマリウス・ヨハン・オフト氏が十七日、来日し、東京・渋谷の岸記念体育会館で記者会見した。
 「私がここ(日本)にやって来た一番の目的は、日本チームを九四年のワールドカップに出場させること」と話し、来年四月から始まるW杯米国大会のアジア予選に向け、本格的にチーム作りを開始する。
 「あと一年は短いという感じだが、戦術や選手を入れ替えながら体力的にも精神的にもタフなチームを作っていきたい」と語った。
 今回は約一ヶ月の滞在で、日本協会や日本リーグの各チームと連絡を取りながら、代表候補選手をリストアップ。いったん帰国後、五月上旬に家族とともに再来日し、三十一日からの国際大会(キリン杯)で初さい配を振るう。


◎ドーハの悲劇(93年10月29日)

 日本2 1―0 2イラク
     1―2

 日本、勝利目前で代表の座を逃す――サッカーの一九九四年ワールドカップ(W杯)米国大会アジア地区最終予選最終日の二十八日、日本は午後四時十五分(日本時間同日午後十時十五分)から当地のアル・アリ競技場でイラクと対戦、2―2で引き分けて三位に転落、悲願のW杯本大会出場を果たすことが出来なかった。
 だれも、フィールドから去ろうとしない。地面にへたり込むラモスに、柱谷。立ち上がった三浦知は、イラク応援団のブーイングに身を任せるようにふらふらとさまよう。落とし物を見つけられないでいる戦士たちは、ただフィールドにたたずんでいた。
 天国から地獄に突き落とされるような酷な結末は、突然やってくる。スコアボードの時計掲示は、正規の90分がすでに終わったことを告げていた。イラクにとっては、最後の攻撃。右CKからつないで、最後はマークをわずかに外したオムラムが頭を突き出す。弾んだ球は、GK松永の手をかすめて、ゴール左側に吸い込まれた。
 試合は、戦いそのものだった。前半10分、後方から激しいタックルを見舞ったDF勝矢にイエローカードが突き付けられる。23分には、イラクDFが警告。米国行きをあきらめないイラクは後半に入り、なりふり構わず日本ゴールに襲い掛かった・・・

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