【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

スポーツ
朝日新聞社

踏ん張りを生んだ、遠い古里 「おしん横綱」隆の里物語

初出:2011年1月20日〜1月22日
WEB新書発売:2011年4月1日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 角界に多くの人材を送り出す相撲王国・青森。東北新幹線全線開業を機に、「古里」の持つ意味を1人の名力士の上京と帰郷を通じて見つめ直した。

〈古里からの寄せ書き〉 出世まで帰らぬと決心
〈父と妹の死、そして闘病〉 苦難に耐え初V、凱旋
〈踏ん張り生んだ遠い古里〉 距離が決断を求めた


〈古里からの寄せ書き〉 出世まで帰らぬと決心

 東に八甲田、西には岩木山を望む旧浪岡町(現青森市)。鳴戸親方(本名・高谷俊英)は1952年、農家の次男に生まれた。高谷少年にとって家業の手伝いは春夏秋冬を通じての日課だった。
 冬の装いを解く作業から雪国の春は始まる。雪囲いの片づけが終わると、苗代作り、リンゴの授粉と続く。秋の稲刈りは特に重労働だった。

 「体が大きかったから、人より稲を担がないと笑われると思いながらやったよ」。見上げると、夕暮れの空をガンの群れが岩木山に向かって飛ぶ。リンゴの木は真っ赤な実をつける。色鮮やかな津軽の風景が記憶に刻まれた。
 そんな生活と、ビール瓶に詰めては学校に持っていったヤギの乳が少年の体を鍛え、大きくした。
 地元の高校に入ったばかりの68年、その体が突然の転機をもたらす。間垣親方(元横綱2代目若乃花)を入門させるため帰郷していた弘前市出身の故二子山親方(元横綱初代若乃花)が、知り合いの元力士から「浪岡にも足腰のいい子がいます」と聞き、使いを寄越したのだ。
 柔道をやり、身長が170センチ超、体重もゆうに90キロあった。「それは驚いたよ。憧れていた人がいきなり会いたいと言ってきたんだから」
 農協に張ってあったポスターの中で、山積みの米とリンゴを背景に立つ初代若乃花の姿は、「成功の象徴」に見えた。若乃花と書かれたゲタやメンコも大切にしていた。
     *
 おじけ付いた高谷少年は申し出をいったん断る。だが、「一目だけ」と押し切られ、親方と会うため料理屋に向かう。「いい体をしている」。親方はそう褒め、弟子になるよう切り出した。
 行ったことがない東京に興味があったが、相撲部屋の下っ端の生活は「生き地獄」と聞いていた。固辞すると、親方は背広の内ポケット辺りをポンポンとたたいて、「夜行の切符を取ってあるんだ。これが無駄になるなあ。A寝台なんだ」とつぶやいた。
 「この一手がきつかった。迷惑をかけてはいけないと思ってね。いったん見学をして高校を卒業してからでもいいっていうから、ちょっとだけ行ってみようかとなった」
 タクシーに乗り、一行は青森駅を目指す。近くで寿司(すし)をごちそうになり、駅に入ると、親方は駅長と小さな声で相談を始めた。「弟子が1人増えたんだ。切符、どうにかならんか」。そんな言葉が耳に入ってきた。
     *
 だが、もう引き返せない。学生服で列車に乗り込んだ。荷物は勉強道具だけ。寝台の下の段には親方が陣取った。「下車しないよう見張っていた」という話を後で聞いた。
 親方は頻繁に声をかけた。100万円したという時計やワニ革のネクタイを見せながら、「土俵には地位も名誉も財産も何でも落ちている。自分の手でつかみ取るんだ・・・

このページのトップに戻る