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朝日新聞社

高台へ歩く児童の列を津波が襲った  〜命運分けた30分間〜

初出:2011年4月10日〜4月12日
WEB新書発売:2011年5月6日
朝日新聞

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◇石巻の大川小。点呼終え高台へ。その児童の列を、水の塊が襲った。
◇泣いてたか、しっかりしてたか。最期をちゃんと知ってあげたい。
◇岩手の大槌小。迎えに来た母親たち。連れ帰った子と、濁流にのまれた。
◇強引に避難させればよかったか。あの時の判断。答えは出ない。
◇「千裕ちゃん、また会えるから」 そう言っていた友の右手が離れた。
◇陸前高田の会館3階にも水。35の指定避難所が被害を受けた。
◇「津波が来ます」と娘の声。やがて防災無線が途切れた。
◇鉄骨むき出しの南三陸町庁舎。母無念。「早く逃げてほしかった」
◇背後の人が次々水にのまれる。「おふくろ、乗れ」85歳を背負った。
◇1ヵ月。手を重ねて目を閉じる。「今後どうすんだろ」不安が強まる。


石巻の大川小。点呼終え高台へ。その児童の列を、水の塊が襲った。

●あのときまで
 北上川の河口から5キロ、新北上大橋に近い県道沿いに、宮城県石巻市立大川小学校はある。緩やかな曲線がモダンな2階建ての校舎で、全校児童108人が学んでいた。
 〈太平洋の青い波 寄せてくる波〉と校歌はのどかにうたう。ここは津波とは無縁。多くの人は思っていた。
 2011年3月11日午後2時40分過ぎ。多くのクラスで「帰りの会」が終わり、子どもたちは下校の支度を始めていた。教職員13人のうち、11人がいた。

 近くで鉄工所を経営する木村信広さん(37)の5年生の次男も、ここに通う。この日の朝、木村さんは納期が迫る鉄骨製品をフォークリフトで運び、午後には古い取引先の会長と事務所で話した。「あんときゃ世話になりました」。思い出話が終わるころ、時計の長針は46分を指そうとしていた。

●14時46分から
 突き上げる激しい衝撃、続いて長い横揺れ。多くの鉄骨がガシャンと倒れた。揺れの大きさに驚き、すぐ学校と鉄工所の間にある自宅へ車で戻った。
 車で川沿いを走ると、ラジオが大津波警報の発令を告げた。川の水位が普段より低い。「第1波が女川に」とラジオの声。なんかヤベえな。万が一に備えて会社の実印を金庫に入れた。
 家の周りで、近所の奥さんやお年寄り10人近くが立ち話をしていた。「津波がくっぞ」。呼びかけたが、「警報出たな」とのんびりしている。
 そこへ、市役所の支所の職員を乗せた3台の車が。「津波が来ます、高台へ避難してください」と屋根の拡声機から緊迫した声が流れる。顔なじみの一人が木村さんたちに短くどなった。
 「津波を見た。高台へ逃げてけろ」
 卒業式で早く下校していた中学1年の長男を乗せて小学校に急いだ。エンジンをかけたまま路肩に車をとめた。
 長男が車から飛び出して弟を連れてきた。発車直後、前方で何かが舞った。土手の脇の家が、川の反対側へ向かって吹っ飛んだ。
 津波だった。
 役場の職員が大橋のたもとで手をぐるぐる回し、車を山の方へと向かわせている。ハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。

    *
 誘導していた支所の職員の一人、地域振興課長補佐の及川利信さん(57)はその数分前、学校から河口側へ約1キロの地点にいた。前方を見たら、遠くに波が見えた。20メートルはあるはずの海岸の松林を超えていた。
 「でかい」。車の拡声機で避難を呼びかけて走った。大橋のたもとで学校方面へ行く車を遮り、誘導を始めながら、ふと川を見た。黒い水の塊が猛然とさかのぼってくる。はちきれそうに膨張していた。巨大な寒天のように。
 土手と同じ高さで3トンほどの漁船が疾走してきた。堤防の上を滑る。目の前で大橋に激突して水が飛び散り、巨大な滝のような音が響いた。黒い水が自分に押し寄せた瞬間、身を反転させ、脇の斜面を駆け上がっていた。
 橋の付近からあふれた水は、低い方へ、低い方へと押し寄せていった。一瞬遅れて、松林を超えた波も襲ってきた。そこに、大川小学校があった。
    *
 学校にいた教員で唯一、生還した男性教諭は、9日夜の保護者向け説明会で初めて口を開いた。津波直前の学校の様子を知る人は、この教諭と、児童を迎えに行った保護者らだけだ。
 先生たちはまず、校庭で全児童の無事を確認したが、パニックで泣きじゃくる子、雪の中を裸足で逃げて寒がっている子もいた。走り回る低学年の子も。津波警報を知り、男性教諭が校内を見て回ったが、裏山には倒木が多かった。校庭に戻ると、先生たちと児童らは、山側の出入り口を抜けて堤防の高いところへ避難しようとしていた。突然、激しい突風に続いて大きな音が聞こえた。津波が道路に沿って迫ってくる。そして――。
    *
 学校の近くに住む高橋節子さん(60)も、様子を見た一人だ。校庭の方へ行くと、点呼を終えた子どもたちが山側の裏道を列になって歩き、先頭は橋のたもと近くに上がっていた。
 「あの小学生の列にくっついていきなさいね」。高橋さんはそばにいた娘(31)と2歳10カ月の孫に言った。
 直後、茶色い水に飛ばされた。浮いていた木や板につかまった。山側のよどみへ押しやられた。近くに、木片にしがみつく女児が見えた。「離しちゃだめ」と声をかけながら切り株をつかんで斜面に上がった。先に逃げ込んでいた男性が、その子を助けあげた。
 学校は渦巻く濁流にのまれ、かろうじて2階の上の部分が見えた。子どもの列も、最後尾にいたであろう、娘と孫の姿もなかった。
 このよどみに流れ着き、山の斜面に上がった子どもは、大川小の1年生女児と5年生の男児が2人、男子中学生1人の計4人。高橋さんや支所の職員ら大人12人もその場にいた。
 男性教諭も3年生男児とともに、斜面の別の場所で助かった。

泣いてたか、しっかりしてたか。最期をちゃんと知ってあげたい。

●あのときから
 親たちは、道路や通信の途絶で不安な一夜を過ごした。「学校に避難してみんな無事」という情報がどこからともなく流れた。「避難所でもある学校にいるなら安全」と信じた親もいた。
 惨状が伝わり始めたのは翌12日以降だった。消防団幹部が船で近づき、廃虚と化した校舎と、周りのがれきの中に点在する小さな遺体を確認した。
 108人の在籍児童のうち、死者は64人、行方不明は10人(9日現在)。約7割が犠牲になったとみられる。助かった34人の多くは、親が車で連れ出したケースだった。9日夜の説明会では子を失った親から、「地震から津波までなにやってんだけ」「子ども返してけろ」「天災ですか、人災ですか」と、怒号や悲鳴が飛んだ・・・

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