【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

社会・メディア
朝日新聞社

動かぬ車列。「津波だ」。流された  〜命運分けた30分間〜

初出:2011年4月13日〜4月17日
WEB新書発売:2011年5月6日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

◇「俺の人生」だった原発。逃げろ。出口へ走った。
◇家族4人が働く場を失った。「人が造ったもん、なぜ収束できぬ」
◇動かぬ車列。「津波だ」。流された。なすすべなく。
◇助かったのは「運」。震えが止まらなかった。
◇津波なんか来るわけない。思い込んでいた。ずっと。
◇「忘れられねぇ」。この記憶。長く受け継がれてほしい。
◇沖に見たことない太い線。「逃げろー」僚船が叫んだ。
◇いつかまた漁師に戻る。福島で。何年かかっても。
◇78年前、てんでんこの記憶。「だめだ」。もっと高台へ。
◇自分の命は自分で守る。思いの強さに、救われた。


「俺の人生」だった原発。逃げろ。出口へ走った。

●あのときまで
 福島県大熊町の吉田稔さん(63)は21歳のころ、東京電力の協力会社で原発関連の仕事を始めた。
 地元の建設会社の日当が600円だった時代、原発では1100円もらえた。実家はコメ農家だったが、専業でやっていけるほどの収入はない。5人兄弟の長男に迷いはなかった。

 福島第一、第二、浜岡、女川。原発の建設や定期点検のたびに全国から呼ばれた。1971年に営業運転を始めた福島第一原発1号機は建設からかかわった。コンクリートを手押し車で運び、中央制御室の照明を取り付けた。
 自分の手で基礎から造った第一原発は俺の人生と同じ。そう思っていた。

●14時46分から
 吉田さんはあの日、定期点検中の第一原発4号機の建屋の1階にいた。
 午前中に運び込んだ重さ160キロの機材に電源ケーブルをつなぐ。コンクリート壁を挟んだ約10メートル先に「お釜」と作業員が呼ぶ原子炉がある。
 「ちょっと鍵かしてくれ」。電源を保護する覆いの鍵を借りようと同僚に手を伸ばしたとき、分厚いコンクリートの建屋が横にグラリと揺れた。
 「ガシャガシャ」と金属がこすれるような音。1階の天井はビルの3階くらいの高さがある。上から何かが落ちてくる気がして、直径1メートルほどの冷えたコンクリートの柱に、顔が付くくらい寄りかかった。
 「大丈夫、すぐ終わる。これが壊れるようじゃ終わりだべ」。初めは落ち着いていた作業員たちも、揺れがさらに大きくなると騒然となった。「こんなところから早く逃げろや」
 照明が非常用に切り替わり、明かりの数が減って暗くなった。天井から落ちてきたちりが舞い上がり、霧がかかったようになった。
 同僚と約100メートル先の出口に向かって駆け出す。建屋全体で200人以上が作業していた。出口では被曝(ひばく)線量を測るため20〜30人が列を作り、さらに殺到した。「津波が来るぞ」「早くしろ」。いら立った声が上がる。
 多くの作業員が、手と顔を洗ったり、被曝線量を測ったりせずに、作業服のまま逃げた・・・

このページのトップに戻る