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朝日新聞社

原子力の安全性論議  志持つ研究者は傍流とされた

初出:2011年7月22日〜7月26日
WEB新書発売:2011年8月5日
朝日新聞

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 原爆投下から66年。被爆と被曝をつなげる芽が生まれつつある。被爆国で起きた原発事故は、戦後の日本社会が当たり前としてきた前提や枠組みを揺さぶっている。

◇原子力、二つの顔
◇平和利用、夢託した被爆者
◇安全性論議、科学者の沈黙
◇「核絶対否定」孤高の叫び
◇ヒロシマ開催、米の執着
◇被爆と被曝をつなげる芽


原子力、二つの顔

 2011年3月15日、イタリア・ナポリの大学での出来事だった。NGO「ピースボート」の船で寄港した広島と長崎の被爆者たちが被爆体験の証言を終えるや、現地の記者に囲まれた。
 「原爆の被害に遭った日本が、なぜあれほど原発を持っているのか」
 ヒロシマ・ナガサキを経験した日本のフクシマで原発事故が起きた。その意味を問われた。
 広島で被爆した平井昭三(しょうそう)(82)は言葉に詰まった。「誠に申し訳ないが、原発について勉強していないので十分に答えられない」。長崎の被爆者、深堀柱(あきら)(81)は「ノーコメント」を貫いた。ともに精いっぱいの答えだった。
 平井は言う。「国が『資源の乏しい日本には必要』と言うのをただ漠然と信じていた」。深堀は「安全神話を疑ったことなどなかった」と振り返る。
 悩みはひとり被爆者の問題ではない。
 原子力を戦争に使う核兵器は否定するが、「平和利用」としての原子力は受け入れる。こうした使い分けをしながら、日本社会は戦後歩んできた。
 「調節しながら破裂させたら、原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるか」
 長崎で被爆した放射線科医師永井隆は、1949年に刊行しベストセラーになった「長崎の鐘」で原子力への夢を語っている。

 敗戦から復興へ。原子力という新しい科学技術に希望を重ね合わせた日本社会の原風景がそこにあった・・・

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