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朝日新聞社

本田にポジション奪われた、岡崎が達したシンプルな結論

初出:2011年7月23日
WEB新書発売:2011年8月10日
朝日新聞

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 日本代表FW岡崎慎司(25=ドイツ・シュツットガルト)は6月、身も心もぐったりしていた。しかし、そこには心地よさも同居していた。世界レベルを求めたこの1年半の間に、シンプルで重要な一つの結論に達したからだった。

W杯前の親善試合
半端ではない相手の圧迫感
「海外に出る」岡崎は決めた


 「疲れましたね。大変だったけれど、今までにない本当に恵まれた1年半だったと思う」。岡崎はこう切り出した。
 2010年1月に、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に向けて、日本代表の合宿が始まった。春にはJリーグが開幕。6月から7月にかけてのW杯を経て、またJリーグ。天皇杯も11年元日の決勝まで進み、同年1月にはカタールのアジアカップで優勝。その足で、ドイツに渡り、この6月までシュツットガルトでリーグ戦を戦った。ほぼ休みなく、体を動かしてきたと言える。
 「能力が足らないなってずっと思っていた」。08年、23歳以下の北京五輪に出場し、3連敗。世界との差を感じた。ただ、漠然と海外に行かないとだめだと思っていたが、その思いは、W杯で確信に変わった。
 より正確に言うならば、W杯の前の親善試合で、それを痛感したという。10年5月のコートジボワール戦だった。相手のセンターバックはK・トゥーレとゾコラ。イングランド・プレミアリーグとスペインリーグで活躍する選手だった。岡崎は「背中で感じる圧迫感は半端ではなかった」と振り返る。
 岡崎の持ち味は、相手の守備の裏側に抜ける動きだ。だが、味方の中盤やサイドでパスの出どころをつぶされたら、岡崎は何もできなかった。岡崎のスタイルには、自分で突破するという選択肢がなかった。
 この試合でわかったことがあった。「ここで平然とやっているやつが本大会で使われる。自分の思うがままに動いていたやつが」・・・

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