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政治・国際
朝日新聞社

朝日新聞が報じた 9・11

初出:2001年9月21日
WEB新書発売:2011年9月9日
朝日新聞

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 2001年9月11日、米国のニューヨークやワシントンなど3都市を襲った同時多発テロ。米国史上最悪の被害となった惨事を当時の朝日新聞はどう伝えたのか。機上から「最期」の電話、連鎖的に崩落した摩天楼、米国をのみ込んだ憎しみ、絶望…。当時の記事からその全貌を振り返る。
※2001年9月21日の朝日新聞に掲載された記事を、当時の内容のまま再録しました。

◇「5万都市」100分で消滅
◇機上から『最期』の電話
◇米国民、高ぶる愛国心
◇摩天楼、なぜ崩れた
◇「米への宣戦布告だ」
◇肉声遅れた小泉首相
◇米株価急落、航空業界も大打撃
◇「見えぬ」ビンラディン氏
◇語録・世界から


95階から脱出。振り返らず歩き続けた/「5万都市」100分で消滅

◎貿易ビル北棟
 世界貿易センタービル北棟89階の法律事務所でダイアン・デフォンテスさんがパソコンに向かっていた。8時45分、突然の衝撃で事務所ドアが吹き飛んだ。「何が起きたの」。飛行機がぶつかった、とだれかが信じられない様子で言った。「逃げよう」。周りの人たちに呼びかけ、デイパックをつかんで非常階段に向かった。
 大人2人がやっとすれ違える狭い非常階段には煙が立ちこめ、スプリンクラーで水浸しだった。建物が揺れるたび、壁に亀裂が走る。消防士が上ってくる。けがのひどい人を先に通さなければならない。下りる人は一列になっていた。異様な静けさだった。
 10時30分、地響きをたてて北棟が崩壊した。山陰合同銀行ニューヨーク支店の支店長代理、木村尚久さんは84階から1時間かけて脱出し、ビルから数百メートルのところにいた。通りにいた人の叫び声で振り返ると、寸前までいたビルが崩れ始め、あっという間に白い煙に包まれた。

◎貿易ビル南棟
 「北棟に飛行機がぶつかった」。91階にいたコンサルタント、ロバート・デアンジェリスさんは、即座に避難を始めた。78階まで来たところで「南棟は安全。オフィスに戻ってもいい」と放送が流れた。
 一瞬、安どの空気が流れた。50階付近まで下りてきていた富士銀行員の一部は職場に戻ろうと階段を上り始めた。デアンジェリスさんもオフィスに戻り、妻に電話した。妻がテレビのスイッチを入れたとき、ビルを目指して飛ぶ機影が映し出された。「飛行機が向かっている! 逃げて!」。妻の叫びは、間に合わなかった。
 北棟よりも低い90階付近に2機目が激突した約50分後、南棟がごう音をたてて崩れ始めた。
 95階から脱出したアンソニー・グルドさんは脱出してから一度もビルを振り返らず、3時間半、歩き続けたという。「生き延びることだけを考えていた」

◎ペンタゴン
 ワシントン郊外の国防総省。ラムズフェルド国防長官は会議中に世界貿易センタービルがテロ攻撃された報告を受け、「まだ攻撃があるぞ」と事務官に叫んだ。「予感」は当たった。
 大音響のあと通路から炎が噴き出し、天井が崩れた。2万人以上が働く巨大な建物。炎上する西側は主に陸海軍の作戦部門の職員の部屋だ。改装工事のため、多くの人が別の場所に移っていたが、120人以上が犠牲になった。
 部屋で会議中だった海兵隊少佐(37)は、同僚と一緒に最も被害が大きかった区画に走った。「将軍も士官も下士官も衛生兵も。みんなが助け合っていた」。シャツはすぐ汗と血にまみれた。
    ◇
 20万トンの鉄骨と4万3千枚の窓ガラスで造られた世界貿易センターの双子ビルは、5万とも言われる人が働く「都市」だった。がれきの下には、今も5400人を超える人が埋まっているとみられる。19日までに収容された遺体は270体。生存者発見の報は、12日から途絶えた・・・

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