【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

政治・国際
朝日新聞社

米市民はテロ後の世界をどう評価しているのか

初出:2011年9月1日〜9月7日
WEB新書発売:2011年9月9日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 2001年9月11日、米国を襲った同時多発テロ。あの日を起点として、世界各地に及んだ歴史の流れが、多くのひとびとの運命も変えた。「対テロ」の象徴になった消防士、米国民の心に響いたキャッチコピーの生みの親、それぞれの歳月と「いま」を追った。

◇消防士、病から救え/ボブ・ベックウィズ
◇テロを乗り越えたい/ミルトン・グレイザー
◇住みたい世界、自問を/モーガン・スパーロック
◇米は誤爆を謝罪せよ/グル・アフマド
◇多様さ喪失に危機感/アルノー・ムニエ
◇非暴力が社会変えた/マグディ・ナシャル
◇一族から逃れたけれど/カルメン・ビンラディン


消防士、病から救え

■ブッシュと肩組んだ、ボブ・ベックウィズ(79歳)

◎粉じん吸った「若いやつらの健康が気になる」
 あの日、その場に居合わせたのは、たまたまだった、という。
 2001年9月11日の同時多発テロ3日後、煙がくすぶるニューヨークの現場。ボブ・ベックウィズ(79)は、がれきの山の上で、現場を訪れたブッシュ大統領(当時)と肩を組んだ。その映像が、世界中に流れた。
 「このビルを倒した連中は、いずれ我々の声を聞くだろう」。大統領が拡声機で叫んだ言葉に感動した。
 恐らく、米国で最も有名な消防士の一人だろう。「テロへの報復」にかけた米国の決意を象徴する一人でもある。
 当日、実はもう現役ではなかった。同僚の息子の消防士が「行方不明になった」と聞き、家族の反対を押し切り、現役時の作業服やヘルメットを身につけ口八丁手八丁で現場に潜り込んだ。がれき撤去のバケツリレーにも参加した。埋もれていた家族写真も拾った。
 「大統領が来るというんで、眺めやすいように高いスポットを確保した。そうしたら大統領が上ってきて、下りようとしたら、『お前もここにいるんだ』と止められた」
 「全国規模」の顔になった直後に、消防士組合から電話がかかってきた。「もう現場には行かないでくれ。制服は着られるか? では、葬式に行ってくれ」
 遺体が出ない段階で追悼式があり、見つかった後に再度、葬式がある。30年近いキャリアがあっても、同じ遺族に何度も会うのはしんどい。1日に3度、会葬したこともあった。
 米国で消防士は、尊敬を集める職業の一つだ。ビルから何千人を避難させるために、1日で343人が命を落としたというストーリーに、英雄扱いのまなざしは一気に増した。そのことを肌身で感じた。
 2011年5月、テロの首謀者だった国際テロ組織アルカイダの最高指導者、オサマ・ビンラディン容疑者が殺害された時には、午前2時に地元テレビ局の記者にたたき起こされた。コメントを求められ、各局をハシゴして出演した。
 しかし、テロから10年を迎える中、砂ぼこりが舞う現場で何カ月も力を尽くした仲間たちの活動は、風化してきた――。
 異変に気づいたのは、数年前だろうか。病気になる消防士がどんどん増えた。
 後で分かった調査では、テロ直後に救出現場に駆けつけた消防士のほとんどが肺機能が低下し、千人近くが、慢性気管支炎など完治できない病を背負っていた。粉じんと化したアスベストなどの有害物質を吸い込んだ結果だ。
 さらに、作業との因果関係ははっきりしないものの、若くしてがんにかかる後輩も少なくない。
 それでも、大統領と現場に立ったときのことは、色あせない歴史の一ページだと感じている。各地から講演の依頼があれば、駆けつけ、謝礼分は、消防士の支援団体に小切手を切るよう頼む。この間も、本にサインしたら、5千ドルを寄付してくれた会社社長がいた。
 「自分はもう79歳だ。どうでもいい。でも若いやつらは何とかしないといけない。彼らに万が一のことがあったら、家族の面倒を見ないといけない。途方もない望みではないはずだ」
 広い米国を旅しながら、やはり思う。ニューヨークから遠いほど、人々の記憶は薄くなっている。


◎2011年、支援法成立 「10年。なぜ時間かかった」
 テロ直後、現場で命を落とした消防士には多額の寄付が集まったが、救出作業で体を壊した消防士の健康被害を支援する法律は、今年成立したばかりだ。「10年だぞ。なんでこんなに時間がかかったんだ」
 東日本大震災の現場でがれき撤去の作業にあたる消防士らのことも気になる。「大丈夫だと言われても・・・

このページのトップに戻る