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朝日新聞社

亡くなった子供たちが教えてくれた ユッケ事件、鎮まらぬ波紋

初出:2011年10月26日〜10月30日
WEB新書発売:2011年11月4日
朝日新聞

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 5人が死亡した「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件。今なお、遺族の心の傷は癒えず、原因究明や再発防止を目指す医療界や行政、食肉業界の取り組みも始まったばかりだ。各地の現状を報告する。

◇被害者―「まだ何も」募る孤独感
◇医療機関―想定外の連続、教訓残る
◇行政―再発防止へ独自の対策
◇食肉卸・飲食業界―手探り続く


被害者―「まだ何も」募る孤独感

 家族でお祝いごとをするのは久しぶりだった。砺波市の男性(48)と高校2年の長女(17)、中学2年の長男(14)は2011年10月中旬、すし店で、ごちそうを囲んだ。この日は、長男の誕生祝い。だが、妻と義母の席は空いたまま。「やっぱり寂しい食事になったな」。男性は家族2人を失った悲しみをしみじみと感じた。

◎妻と義母亡くす
 半年前の11年4月23日。長女の誕生日を祝うため、妻(当時43)と義母(同70)を交えた一家5人で「えびす」砺波店を訪れた。店が勧めているユッケを含めて、焼き肉を楽しんだ。
 数日後、家族が相次いで体調を崩した。食事から12日目の11年5月4日に妻が、翌日には義母が亡くなった。
 2人の子どもは集中治療室に入った。特に長男の症状は重く、一時は目の焦点がまったく合わないほどだった。意識が戻った後のリハビリも困難の連続で、握力はほとんどなく、5歩歩いただけで筋肉痛になった。「限界まで衰弱した状態だった」と男性は言う。
 6月、長女に続いて長男もようやく退院した。長男は2学期からは本格的に学校に通えるようになった。大好きなサッカーもできるようになってきたが、経過を見るため、3年間は定期的に通院して検査を受けなければならない。
 男性は今、事件が世間から忘れられ、被害者だけが取り残されつつある孤独感を深めている。
 「えびす」による補償額が定まるのは来春以降になる見込みだ。県の担当者に聞いても、事件の真相はまだ不明な点が多い。「半年たっても、私たちにとってはまだ何も始まってないんです」



◎原因究明求める
 県西部に住む男性(43)は、金沢医科大学病院に運ばれた高校2年の長女(16)の治療に伴って医者から署名を求められた何枚もの承諾書が忘れられない。「正直、あきらめそうになった」。暗然たる日々を振り返る。
 長女が、友人3人と「えびす」高岡駅南店を訪れたのは11年4月20日。2皿のユッケを分け合った。その後から激しい下痢が始まった。23日に近くの総合病院で受診したが、診断は「ノロウイルス」の疑い。下痢は一向にやまず、血便も出た。腹痛で眠れず、トイレにこもった。苦しみ続けた長女は28日、意識を失って金沢医科大学病院に救急搬送された。
 人工透析が始まり、カテーテルが体内に通された。集中治療室に横たわる長女の顔はまん丸に腫れ、手足は細くなっていった。溶血性尿毒症症候群(HUS)も発症した。泊まり込みで付きそう妻(43)とひたすら祈り続けた・・・

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