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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔1〕 防護服の男 「頼む、逃げてくれ」

2011年11月04日
(12200文字)
朝日新聞

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 プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。人類に火を与えたとされるギリシャ神話の神族の名を冠し、3・11直後の原発30キロ圏内の様子を生々しく伝えた朝日新聞の好評連載の第1シリーズ「防護服の男」全13回をWEB新書化。福島第一原発の破綻を背景に、国、民、電力を考える。

◇第1章 頼む、逃げてくれ
◇第2章 深夜、もっと遠くへ
◇第3章 なぜあんな格好を
◇第4章 殺人罪じゃないか
◇第5章 私、死んじゃうの?
◇第6章 ハエがたかっていた
◇第7章 早く東京へ来なさい
◇第8章 「ふるさと」歌えない
◇第9章 初めは言えなかった
◇第10章 口止めされた警察官
◇第11章 あの2人のおかげで
◇第12章 区長は逃げなかった
◇第13章 自宅裏は荒れはてた


第1章 頼む、逃げてくれ

 福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。
 原発事故から一夜明けた2011年3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。
 菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。
 築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。
 「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」。人々はとりあえずほっとした表情だった。
 みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。
 夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。
一、炊事や配膳はみんなで手伝う。
一、お互い遠慮するのはやめよう……。

 人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。


 そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
 「何? どうしたの?」
 みずえが尋ねた。
 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
 みずえはびっくりした。
 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。
 みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。



第2章 深夜、もっと遠くへ

 11年3月12日夕、菅野みずえは自宅に駆け戻り、防護服の男たちの話を避難者に伝えた。議論が始まった。
 「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ。様子をみよう」。やっと落ち着いたばかりで、みんな動きたくなかった。
 しかし深夜、事態が急変する。数台のバスが、避難所になっている公民館に入って行った。それに避難者の1人が気付く。バスの運転手は「避難者を移動するのだ」といったという。
 当時、浪江町は、逃げ遅れた20キロ圏内の町民たちを津島地区までバスでピストン輸送していた。しかし、みずえはそんなことは知らず、やはりここは危ないのではないかと思った。みずえは寝ていた人々を起こし、再び議論となった。
 多くは動きたがらなかった。しかし、一人の女性が「みんながいたら、菅野さん家族が逃げられないでしょう」といった。それで決まった。
 「車のガソリンが尽きるところまで避難しよう」
 深夜0時すぎ、若い夫婦2組が出発した。2月に生まれたばかりの乳児や、小さい子どもがいた。
 夫婦は最初、「こんな深夜に山道を逃げるのはいやだ」と渋ったが、「子どもだけでも逃がしなさい」とみずえがいい、握り飯を持たせた。
 翌13日の朝食後、再び話し合った。前夜「逃げない」といっていた若い夫婦連れが「子どものために逃げます」といった。年配の女性が、夫婦に自分の車を貸した。
 「私は1人だから、避難所でバスに乗るわ」
 夕方までには、25人全員が福島市や郡山市、南相馬市などへそれぞれ再避難した。
 みずえは近くの家で避難している人たちにも、防護服の男たちのことを伝えた。1人が笑って答えた。
 「おれは東電で働いていた。おれらのつくった原発がそんなに危ないわけねえべ」
 男は原発事故からではなく、津波から逃れてきたのだ・・・

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プロメテウスの罠〔1〕 防護服の男 「頼む、逃げてくれ」
216円(税込)

プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。人類に火を与えたとされるギリシャ神話の神族の名を冠し、3・11直後の原発30キロ圏内の様子を生々しく伝えた朝日新聞の好評連載の第1シリーズ「防護服の男」全13回をWEB新書化。福島第一原発の破綻を背景に、国、民、電力を考える。[掲載]朝日新聞(2011年10月3日〜10月16日、12200字)

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