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朝日新聞社

記者が見た福島第一原発 「死ぬだろう、数度思った」

初出:2011年11月13日
WEB新書発売:2011年11月25日
朝日新聞

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 福島第一原発の敷地内が報道陣に初めて公開され、3月11日から取材を続けてきた朝日新聞記者が現地に入った。史上最悪の原発事故の復旧は順調に進んでいるのか。記者が目の当たりにしたのは、ある意外な光景だった。

◇福島第一原発 報道陣に公開
◇放射線量、桁違い
◇「死ぬだろう、数度思った」吉田昌郎所長 初めて語る
◇安定しているが、安全ではない
◇公開、一部に限定
◇爪痕なお 冷却は仮設装置頼み


福島第一原発 報道陣に公開/週末も1500人作業・石積み防潮堤

 2011年11月12日午前10時、総勢36人の記者は「Jヴィレッジ」でつなぎの防護服に着替えて2重の手袋をはめ、2台のバスに分乗して福島第一原発に向かった。第一原発から3キロほどのところで、全面マスクを着けるように指示された。正門の白いゲートをくぐり第一原発の敷地内に入った。
 報道陣のバスがまず向かったのは1〜4号機を南から見渡せる高台。原子炉建屋は厚さ約1メートルのコンクリートの壁がぼろぼろにはがれ、無残な姿をさらしていた。そのそばで、記者らと同じように全面マスクで防護した作業員が黙々と工事を続けていた。
 週末で平日の半分ほどだというが、それでも敷地内に約1500人いるという。バスからも放射能汚染水を浄化した際に生じる汚泥の貯蔵設備の工事に取り組むのが見えた。
 バスは海側に坂を下り、4号機のタービン建屋に向かった。左側に壁がほとんどはがれ、鉄骨がむき出しになった建物が現れた。いまだに残る津波の激しい爪痕だ。




放射線量、桁違い

 政府と東京電力は11年11月12日、福島第一原発の敷地内を3月の事故後初めて報道陣に公開した。細野豪志原発担当相による事故収束作業の視察に記者らが同行する形で入った。事故直後から現場で陣頭指揮を執ってきた吉田昌郎所長(56)も公式の場で初の取材に応じた。

 取材陣はまず敷地内の南側にある高台から、福島第一原発を一望した。風に揺れるススキの穂の向こうに、壊れた4号機の原子炉建屋が見えた。水素爆発で壁が吹き飛び、すき間からは事故前に定期検査で外されていた格納容器の黄色いフタがのぞいていた。
 その隣の3号機もやはり水素爆発で屋根も壁もめちゃくちゃに壊れ、今はさびて茶色い骨組みがわずかに見える程度だ。周りにはがれき撤去のための大型クレーンが並ぶ。奥には2号機や、カバーで覆われた1号機も見えた。


 3、4号機より手前で排気筒の横にある建物を見つけた。使用済み燃料を保管するプールがある建物の地下の配電盤が津波で水をかぶったため、生き残った非常用発電機も結局使うことさえできなかった。
 敷地の北側では山の斜面に原発に電気を送る送電線の鉄塔がアメのように曲がって倒れていた。この鉄塔が最初に地震で壊れ、外部からの電源を失ったのも事故原因のひとつだ。
 敷地内にはまだまだ放射線が高い場所がある。取材ルートは線量の低い場所が選ばれたが、それでもバスで3号機のそばを通った際、他社の記者の線量計のアラーム音が鳴った。東電社員の測定で毎時1ミリ(1千マイクロ)シーベルトだった・・・

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